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戌の刻。辺りは闇夜の支配下に犯され始めていた。月明かりは道場の影を見守る。
静かに目を瞑る与四郎を、忠弥は時おり横目でみた。与四郎は微動だにもせず、口を閉ざしたまま一言も話そうとしない。忠弥もまた、口を開かなかった。
二人は道場に通う若者の中で早くに才能が認められた。すでに家を継いだ清之丞を含めて道場の三羽烏と呼ばれるほどだ。
忠弥は与四郎と暫くの間、話したことも打ち合ったこともないことをぼんやりと思い出した。
もっとも与四郎は極度の黙りん坊であるため、普段から誰も話しかけやしない。
何刻たったかも分からず退屈をもて余し始めた頃、奥から足音が二つ近づいてくる。姿勢を正すと、老剣士と娘が現れた。
「二人とも、そろったの」
かなりの時間待たされたことへの文句一つ言いたい気持ちを抑え、忠弥と与四郎は頭を軽く下げた。
「はい。して先生、何用でござる」
「そこもとらは、厄介であったの。婿とりのはなしは来ておるか」
「いえ」
忠弥に老剣士は頷くと、与四郎にも確認する。与四郎は首をゆっくり横に振った。
「うむ。ならばよい。わしは二人はこの道場の若者の中では一、二を争うと思っておる。故に、娘の婿をお主ら二人から選びたい」
忠也は血が滾るのを感じた。横目で与四郎を盗み見ると、白瓜のような顔の色を変えることもなく超然と座っている。
忠弥は内心舌打ちをした。普段通り表情一つ変えず、口を開きもしない与四郎に苛立つ。
老剣士の一人娘は城かでも評判になるほど見目麗しい。その娘を娶り、あとを継ぐのは、道場に通う者の夢だった。
忠弥は老剣士の目をしっかりと見つめ、次の言葉を待つ。
「二人には試合を行ってもらう。よいかな」
確認ではなく、決定だ。忠弥と与四郎は木刀を手に取り、向かい合って立った。
「では、始め」
老剣士の掛け声と共に二人は木刀を正眼に構えた。
忠弥は与四郎の構えをみて、細かな笑いが湧いてきた。胴も小手も隙だらけである。忠弥は気合いを発した。
捕らえたと思った胴はすり抜ける。変わりに頭の上から冷水が襲いかかる空気を感じ、そのまま2間ほど走った。
振り返ると与四郎の光無い目がひたと睨み付けていた。忠弥は獲物を狙い定める鷹の瞳のように感じた。冷や汗が吹き出てくる。
与四郎は自在の剣を遣う。どこぞで聞いた言葉を忠弥は思い出す。
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