第1章

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 忠弥は乾いた唇をなめながら、与四郎との間合いを図った。息を詰めて向かい合う二人の間を冴え冴えとした月明かりが一筋差し込む。  忠弥は呼気が浅くなっていった。与四郎の目が鋭く光ると同時に、忠弥の頭上へ剣が降ってきた。  木刀の打ち合う音が道場に響く。与四郎は息も吐かず、剣を振り上げ、忠弥を攻め立てる。  忠弥は与四郎の動きに合わせるのがやっとであった。久しぶりに打ち合わせてみれば・・・・・・と自嘲の笑みを溢す間もなく、歯を食い縛る。  一歩間合いから出て、忠弥は軽く息を整え、与四郎全体を見据えた。  すぐに与四郎の剣が伸びてくる。ひとつ、またひとつ、防ぐうちに、娘の息を飲む音も、師の扇子の音も忠弥から消え去った。忠弥の視界は与四郎の木刀以外、闇に包まれる。  老剣士は劣勢であったはずの忠弥が与四郎の剣を粘り強く打ち返すようになっていったのを面白げに見つめていた。  娘は息を飲み込んで行方を見る。突如、与四郎が正眼から八双へ変えた。止めの攻撃に移るらしい。与四郎の剣が目の前に迫ったとき、忠弥にだけ与四郎の隙が見えた。 (今だ)  体を低く屈め、右斜めから振り上げた木刀に手応えを感じた。与四郎の剣は空を切り、与四郎は道場に叩きつけられた。 「そこまで」  老剣士の鋭い掛け声に忠弥は我に返る。与四郎を見ると踞り、顔を歪めて脂汗をかいていた。 「与四郎っ。痛むのか」  忠弥は与四郎の側へ寄る。与四郎の白瓜のような顔色はいっそう青白くなっていた。 「へい・・・・・・きだ。しかし・・・・・・よく・・・・・・防いだ・・・・・・ものだ」  途切れ途切れに呟く彼の言葉に、忠弥は眼を見開いた。与四郎は忠弥を暖かく包むような笑みを、苦痛のなかに一瞬浮かべた。  忠弥は少年時代のまだ才が現れぬ頃、頭に打ち込まれ踞ったとき、与四郎が駆け寄ってきたことをはっきり思い出した。 (あの時も与四郎に誉められた。受け太刀がよくなっていると)  与四郎の笑みはそのときとなんら変わっていなかった。 「試合、見たかったです」  祝言から数日後道場で忠弥は、先程まで稽古をつけていた三郎にまとわりつかれていた。苦笑いを浮かべて少年の頭を撫でる。  今日も見舞いへ行かねば。三郎に告げて離れようとした途端、門からゆっくり歩み寄る影に目を見張った。
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