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何故こんな場所に彼女が立っているのか。
そんなことは全くもって気にはならなかった。昨夜のあの出来事をこの目で目撃している僕にとって、この状況は疑問ではなく確信であったからだ。
やはり昨夜の人物は海原だったのだ。
それよりも今は何故彼女が涙を流しているのか。そちらの方が重要な問題だった。僕は可能な限り平常心を保ちながらゆっくりと彼女に近づいた。
「どうした海原。こんなところで何やってんだ?」
彼女は右手でぐいっと頬をぬぐうと無理やりのように笑顔をつくってこちらに視線をよこした。
「店長こそ。今日は六時であがりだったじゃないですか」
「いや。ちょっと散歩をね……」
僕がそう言うと海原は軽い足取りでこちらに一歩踏み出して僕の顔を覗き込んだ。
「あ。店長お酒飲んでますね?顔がちょっと赤い」
「え?そうか?よくわかるな。あまり顔には出ない方なんだけど」
「でしょう?あたし、常連のお客様が体調悪かったり、機嫌がよくないときとかすぐに分かるんですよ。まあ、毎日のように顔合わせてるんだから、それくらいわからなくちゃ接客業失格なんですけど」
海原は口元だけ笑顔を作って泣いていたのを隠すようにそう言った。
「さすがだな。僕には無理だ。こないだなんてにゃんこが風邪ひいて熱があるのに無理してシフト入ってて。そんなことも気づいてやれなかった」
「ああ。宮古さん、けっこうそういうの見せない人ですから。その辺はさすがプロだなって感じですけど」
「で、こんな時間に何やってんだ?家、この近くだっけ?」
「ここからちょっと行ったところです。店長の家もこっちなんですか?」
「あ。いや、まあそんな感じ」
この場所は自宅とは全く逆方向なのだが、こんな時間に自宅と逆の方向に歩いている上手い言い訳が見つからなかった。
「じゃあ店長の家まで一緒に行きましょう!酔った店長が帰り道に痴漢行為を働かないようあたしがしっかり監視しますから」
「しねえよ。逆だ。僕が家まで送ってく」
「あたしは飲んでないですから痴女行為は心配ないですよ」
「飲んでたらするような口ぶりだな、おい。さ、帰るぞ」
「乙女の棲家を暴こうだなんて感心しませんね」
「住所は契約書で確認できるんだ。いくらでも調べられるだろ」
「ええ!怖い!」
そう言いながら海原は歩き出した。僕は海原の少し後ろをついて歩く。歩き出してすぐ、海原はこちらを振り返って僕の顔を見た。
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