転移再発による抗がん剤で転院

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2月24日。 父はテレビを見る元気とコロコロする元気は出ていた。だが、状態としては昨日と変わらないそうだ。息子と握手をして両 ほっぺをプニプニし、テレビのチャンネルを変え、コロコロし終わったら疲れたのかテレビを消して横になり、痰が絡んで起き上がりカニューレの穴を指で塞いで口から出そうと試みながら咳をする。そしてまた横になる。 帰り道、私がまだ幼く父がまだ若かった時の事を思い出した。父が木市を出店していた頃だ。脳溢血になる前祖父は木市の会長さんで父と店番をしていた。幼稚園が休みの日曜日はよく父に付いて行き、向かいの店の小鳥さん達や犬猫を見に行ったり、周りを見て回ったりしていた。喉が乾き店に戻り父に「喉乾いた!」と言うと父は私を自販機に連れて行きジュースを選ばせた。父は缶コーヒーを買い、ゴクゴクと喉を鳴らしながらたったの何口かで飲み干す。凄いなーと思いつつも一瞬で終わる缶コーヒーが勿体ないと思いながら、私はオレンジジュースだかグレープジュースをチビチビ飲んでいた。 今では缶コーヒーを飲もうものなら1日がかりか半分ぐらいで捨てる事になるかもしれない。飴もすっかり食べなくなった。食事前に注ぎに来てくれるお茶しか飲まない。 絶食が一時期だけならまだしも、もう一生絶食のままが確定した。 父が癌になり2年。2年前の今頃は1日1回食べ物を詰まらせる事があった頃だ。 だが、抗がん剤や放射線や手術をしたからこそ、その副作用や合併症を乗り越えられたからこそ今生き長らえているのだ。 テレビを見る元気とコロコロをかける元気があるなら急変はしないだろうと根拠の無い安心をしながら帰った。
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