くらがりの百足

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 雲の多い地平線上に陽が消えて行く頃、痩せた男は薄手のYシャツによく似た服と黒のズボンに身を包んだ。Yシャツの袖をたくし上げ、上3つのボタンは締めず、ズボンは膝下までたくし上げることによって男はそれらを着こなす。少なくとも本人は着こなしていると思っている。  さらにそこから麦で出来た茶を1杯だけ飲み、刀を腰に帯び、陽が完全に沈みきる前に彼とその痣は黒の外套を上から羽織って家を後にした。  大陸最北端とは言えど、大陸自体がかなり南方に位置しているため、モクロスの街の気候は年中を通して温暖かつ乾燥しがちであり、過ごしやすく穏やかなものである。モクロスよりさらに北の海域には、すぐ目と鼻の先に別の大陸「エウロペ」が迫っており、それを分かつ「ギブラー海峡」には巨大な岩山「ギブラーの卵」が腰を下ろしていた。なお、モクロスが要塞化している理由こそ、異民族の大陸である「エウロペ」の度重なる侵攻にあった。そのたび、モクロスはこの「ギブラーの卵」に、海峡を難なく超越し直接攻撃してくる敵の火砲からその身を救われていたのだった。  男は安い馬車を留め、大通りを避けつつ街の南方に向かった。単に「南区」と呼ばれるその地区は、経済の中心である西区や工場の集まる北区と距離的に離れている上、時折、北区からの煤煙が海風に乗って南下してきたものが防壁を越えられずに停滞し健康被害をもたらすため、住まう者も無く幽霊街と化してる地区である。男の住まう東区から馬車で20分かかる。大通りを避けて遠回りすれば1時間近くかかってしまうのだが、南区へ夜に、馬車まで使って向かう者など皆無であった。  雨雲が初夏の夜空を覆い始めていた。若干空気が湿気を含み、雨が降りだすのも時間の問題だった。男は馬車を東区と南区の境目に位置する廃屋の前で止めた。  街の中を流れる小川を跨ぐ小さな石橋を渡り、人気の無い暗い路地を直進する。男は外套の中から小さなカンテラを取りだし、マッチで火を点ける。ぼんやりと映し出された周囲には生命の気配すら感じられず、また並び立つ家々の窓は人気の欠片すら宿さず暗黒の中に同化していた。  数分の直進の後、男は袋小路にたどり着いた。右手に、身長程もない低い扉が見えた。男は迷うこと無く錆びたノブを回す。 「ノックくらいしたらどうだ」 痣がとがめたが、男は気にも留めずその古い木製の扉を引いた。
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