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苔むし、あちこち砕け風化した赤煉瓦の通りを、「それ」は12本の脚で音もなく進む。
獲物の行方は知れていたが、幾重にも張り巡らされた魔力の結界に阻まれ、建物に入る事はできない。「それ」は巨大な二本爪の鎌で結界との距離を測り、動物や虫の持つ本能のままに闇の中で獲物が飛び出すのを待った。
雲が空を覆い隠しつつあった。
「来客のようだな」
ケーヒルが呟いたのは、痩せた男が何かしらの接近の気配に気付き、急に後ろに振り返ったのと同時だった。
「我が家は実体がこの場所に無い以上、如何なる方法でも探知されないように出来ているはずだが」
「後を付けられたか。妙な気配だ、だぶっている気がする」
「数は少ねぇ事は確かだがな」
痣が言った。壮年の男はふぅっと息をつく。
「大した相手ではないし、この様子だと話の通じる相手でもなかろう。ひと思いに片付けてしまうか、もし…ほとんどあり得ないだろうが、機会があれば話を聞こうか」
そのまま外に向かおうと歩き出したのを、黒い男は片手で制した。
「俺が行く。雇い主に万一があれば、収入が無くなる」
「ははっ、だからもし私が命を落とすようなことがあれば、この家ごと全ての財産をお前にやると言っておるだろう」
髭の男は笑って言った。痩せた男は呆れて返した。
「家の中で地球を再現する趣味はねぇよ」
火の玉が暗闇の中に飛んだ。
多足の異形は黒光りする複眼でそれを追い、二本爪の大鎌を振り上げ、斬り付ける。鋭い風切り音と共に分断され地に落ちたそれは油を染み込ませ火を点けた布地であったが、異形はそれを確かめるより先に右の脚を2つ失いバランスを崩して尻餅をついた。
「案の定だ」
体液が噴き出す。異形は叫び声一つ上げず、自身の周囲を駆け回る敵の気配を察し、本能を頼りに鎌を振るう。
「話の通じる相手じゃなさそうだな」
声の聞こえた方に伸ばされた腕に当たりはない。それどころか、戻ってきた右の鎌は根本から切断されてしまっていた。
異形は自身の陥った状況を理解できなかった。理解する暇も残されていなかった。
「片付けるか」
視界の左端で一瞬何かが煌めいた気がした。それが敵の得物がわずかに放った次の一撃の知らせだと気付いたのは、とどめの斬撃が、残った左の大鎌ごとその首を跳ねた正にその瞬間であった。
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