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読み切り
玄関を開けばカレーの匂いがした。
仕事終わりの空腹なお腹を攻撃する。
妻はリビングで美味そうなカレーを前にキョトンとした顔で玄関を眺めていた。
「よかった…」 そう呟いてから「ただいま」
と言った。
妻は鬱を持っている。
結婚してからはその症状も段々治りつつあるが、今朝も布団から出られずに俺が仕事に行くギリギリまで、布団にくるまっていた。
それでも家を出るときには玄関先まで来て「いってらっしゃい」と言ってくれる妻が、俺は大好きだ。
今日も俺が帰ってくるまで待っていてくれた。 妻の優しさが身に染みる。
「いつもありがとう」
そう言って、今日も二人で食べる夕食は美味しい。
そんな日常が続いていた頃に、夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が帰ってきた頃、妻にガンが見つかった。
そして、「余命もあと3ヶ月と無いだろう」告げられた。
発見が遅かったのだ。
鬱の症状と思い、慰めることしか出来なかった自分が、悔しい。
それでも妻は笑っている。
そうして、余命宣告から2ヶ月が経った。
死を前にしても、彼女は笑っていた。
下手くそな俺の料理も、笑って、おいしい、おいしい と言いながら食べてくれた。
そして、あれから3ヶ月、医者も感心していたが、やがて妻は喋る気力も失い、そっと最期を受け入れていた。
そして、医者も「今日中だろう」と告げた。
最期の最期に、俺は妻に料理を作った。
妻は、その料理を見て、かすかだが、確かに微笑んだ。
妻は、最期の最期まで俺に笑顔を見せてくれた。
妻の死んだその部屋では、妻の柔らかな微笑みと、カレーの匂いがしていた。
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