暗がりの夢

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【1】 私の通う大学までの道のりは遠い。しかし遠いと言っても、「電車で何時間」「車で何時間」とかそこまでのレベルではなく、なんと言えば正確なのか……そう、感覚として遠いのだ。 例えば毎日大学まで二時間掛けて行く人にとっては、私の大学への道のりなど短過ぎるもいいところだろう。おおよそ、その四分の一。つまるところ三十分で着くのだから。 とは言え、それは徒歩三十分で到着する、という意味ではない。流石に徒歩三十分で着くのであれば、さしもの私も「感覚として遠い」などと愚痴をこぼすこともなかっただろう。 バス。 私の住むこの街の市営バス。それを利用して、大学まで三十分。 しかしながら、ここがまたややこしい話なのだが、その道程全てをバスで往くわけではない。おおよそ、距離にして七分の三だけを、バスで往くのだ。 七分の四は歩きとなる。生憎と、自動車の免許も、原付バイクの免許も所持していない私だ。ならば大型二輪の免許ならば所持しているのか、と言えば、当然ながらそれもない。ついでに言えば私の方向感覚と言うのは、生来どうしようもなく狂っているものらしく、自転車にさえ乗れない。 故の徒歩。大学へ往くまでの……おおよそどれくらいだろうか。綿密に計算したことはないが、大体二十二分くらいだろうか。それくらいの距離を、私は歩き、大学へと向かっている。 そして、徒歩が終わると、そこからバスだ。 ある人は言うかもしれない。「いや、そこまで来たなら全部歩けよ」と。確かに、残り七分の三の距離も、歩こうとして歩けない距離ではない。直線距離にすれば、これまで歩いてきた道のりよりずっと、短いのだから。しかし、私はバスへ乗る。なぜそうするのかと言えば、それは大学の立地が関係している。 私の通う大学は、ちょっとした丘の上にあるのだ。 しかもその丘の道のりが、とぐろを巻いた〝蛇〟のごとく、丘を回りながら上がる形で舗装されているため、上り坂と言うこともあり、また距離も長く、徒歩で進むには少々きつい形となっている。 どうしてそんな不便な場所に大学をたてたのか、私のような人間にはさっぱり解らない。偉い人の考えることというのは、往々にして理解不能なものだ。 丘を上がると、ちょうど大学の前にバス停が置かれている。『次は~***学院大学前~』と言うアナウンスと共に、そこに停車し、市内一律の料金を払い、私は大学に到着するわけだ。
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