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しかし、毎回のことながら、〝その人〟がこのバス停に居る際には、誰一人、このバス停で待機していない。私がこの人を見る時、この人は毎回一人である。
一人で――ベンチに座っている。
古めかしい和服。いや、あれは浴衣と称するべきなのだろうか。夏に近い季節であることを鑑みれば、さほど可笑しな格好でもないけれど、しかしながらそれを普段着のように着こなしている彼女は違和感でしかない。日本人であることを考えれば、浴衣を着用することは何も間違っていないのだが……そこは時代の流れと言うものもあるし、何より、一番の懸念として、彼女は三百六十五日、春夏秋冬関係なく、浴衣だと言うことが上げられる。
つまり冬でさえ、雪の降るような時期でさえ、彼女は浴衣を着用しているのだ。寒くはないのだろうかと不安になることもしばしばだ。
……もっとも、雪の降るほど寒い日に出会った時は、浴衣の上から黒色の半纏を着用していたのだが。
そして、常に紫色の番傘を携えている。今日日珍しいと言ってしまっても、過言ではないような、純日本人らしい、長い黒髪。日本人形のような雰囲気を携えてはいるものの、中々どうして妖艶さがにじみ出ている。
酷く、冷たい目つき――否、乾いた目つき。さながら、複眼昆虫の目のような、あるいは、爬虫類の鱗のような、瞳。
――彼女は首縄さんと言う。
下の名前は知らない。時折、こうしてバス停で一緒になると言うだけで、さほど深い仲ではないのだ。
知っていることと言えば、不気味の谷現象が起こってしまうほどに整った顔立ちを保持していることと、彼女が稀に、継ぎ接ぎ大学の裏手にある墓地に墓参りに来ていること。
それに、首縄と言う苗字。それくらいである。彼女の下の名前さえ、私は知らない。
「――あら」
と、バス停へと入って来た私に気が付くと、彼女はそんな風に声をあげた。
「お久しぶりですね――本日は、もう学習のほうはよろしいのですか?」
風鈴の鳴るような声だった。
けれど何処か、不透明で、先の見通せない〝暗がり〟のような性質も兼ね備えた、暗褐色の声音。首縄さんの声である。
私は頷く。
「ええ、まあ……その、今日のところは少々、暑さに参ってしまいまして」
これは嘘ではない。真実の一部を形作るれっきとした事実である。私の言葉に、首縄さんはコロコロと笑った。
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