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「おまけです。ウラガエシの花の種ですよ。この種を植えて、花を育ててください。花が咲くと、貴方の思い人が蘇ります。」
女が初めて笑った。胡散臭い話だ。それより、この女は一体誰なんだ。彼女の知り合いなのだろうか。僕に何か魂胆があって近づいたのか。僕は気持ちが悪くて、早くその場を立ち去りたかった。その花の種をもらって、そそくさとその場を離れた。
僕は電車に乗って、あの女が書いた彼女の絵をながめていた。まるで生きているような質感だ。僕はいつの間にか泣いていた。そして、あの絵描きの女からもらった、黒い小さな種を握り締めた。
僕は自分の部屋に入るなり、以前彼女が育てていた、観葉植物の鉢を探した。まだ物置に少量土が残っているはずだ。僕は鉢の中に土を入れて、小さなくぼみを作り、あの絵描きからもらった種をまいた。バカバカしいとは思ったが、彼女の不在の時間を埋めるには丁度良かったのだ。思いをこめて、未練がましくも、あの絵描きが描いた彼女の絵を鉢の棚の上の壁に貼った。
もう一度、死んだ彼女に会いたい。
「伊佐薙いさなぎさん、最近ちょっと明るくなりましたね。」
事務の加藤さんが僕のデスクに、熱いお茶を運んで微笑んだ。
「まあね、いつまでも落ち込んでられないからね。」
僕がそう言うと、どこか申し訳なさそうに彼女がはにかむ。
みんな、不幸な僕に同情しているのだ。
数日前、あの種が芽吹き、今まさに双葉が四葉になろうとしているところだ。
ただそれだけなのに、僕はあの胡散臭い絵描きの戯言に淡く期待しているのだ。
あれから、あの場所にはあの絵描きの女は二度と現れなかった。そのことが、あの女の戯言が実現する真実味を帯びているような気がしてならなかったのだ。
だから、双葉がはえてきたときには、飛び上がるほど喜んだのだ。
「あの、伊佐薙さん、この映画って興味あります?」
加藤さんが僕に、映画のチケットを見せてきた。
「アクション物だね。この俳優は割と好きだよ。」
加藤さんは少し頬を染めて僕に言った。
「今度の日曜日、一緒に観に行きません?」
僕は、映画デートに誘われているのか。一応OKした。加藤さんがどういう気持ちなのかは知らないけど、僕にとって恋人は死んだ彼女だけなのだ。
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