終章 夢見るカマキリ

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たぶん、僕はハナカマキリのなかでは落ちこぼれなんでしょう。 本気で花になりたいと願ってしまった。 なれるわけないのに。 夢見ていれば、いつかなれるんじゃないかと思い続けていた。 仲間が次々、脱皮して、茶色く変色した大人のカマキリになるのを、ただ、ながめていた。 花でもない、カマキリでもない。何者でもないまま」 夢見ていれば、いつか違う自分になれる。 いつか、その日が来るのを、じっと待ち続ける。 つらい現実から目をそらして……。 その姿は、ふと、僕に井上さんを思いださせた。 井上さんも、そうだったのかもしれない。 自分では、どうしようもないから、誰かが助けだしてくれるのを待っていた。 ぬけだせない泥沼のなかから、つれだしてくれる人を。 それが、奥瀬さんだったのだ。 彼女は花になれたんだろうか。 きっと、なれたんだろうと僕は考える。 彼女のあのやすらかな死顔が、そう語っている。 蘭さんみたいな華麗な花じゃないかもしれない。 けど、彼女は、きっと白い花。 はかなげで、かれんなシラサギ草あたりかな。 「さ、飲もうぜ」と、猛が言った。 「そうだね。今日はもう、パアッと飲んじゃお」 飲み始めると、井上さんは、また遠くなる。 こうして兄ちゃんや、蘭さんや、みんなと毎日をすごしてるうちに、僕は井上さんを思いだすことも、少なくなっていくんだろう。 だけど……。 (僕は忘れないよ。君のこと) 道ばたで、まちかどで、花屋で。 白い花を見るたびに、僕は思いだす。 彼女の遺した、あの笑みを。 ほのかに甘い、夢見るような、あの……。
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