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無い。
スマホが無い。俺のスマホが無い。
南雲と一緒にトイレから戻った時の事を思いだした。
ちょうど荒船は、ティッシュを取り出す為に自分のカバンの中に手を入れていた。
あれは、ティッシュを取り出す為ではなかった。
逆。
入れる為。
盗んだスマホを自分のカバンに入れる為に手を入れていたのだ。
思いがけずに南雲が早く戻って、ごまかす為にティッシュを取り出したのだ。
南雲の目に感情が無かったんじゃあない。
疑う俺の目が濁っていて、感情を読み取れなかっただけだ。
思い込みのフィルターを外して見たら、こんなにも脅えた目をしているじゃあないか。
「俺、スマホ盗られたかも…」
糸井の報告に、既に堰が切れた南雲の言葉が流れ出す。
「さんざん蜘蛛を、荒船の事を貶していたろう?荒船のプライドを傷つけた。きっと恨まれているよ。だから糸井のスマホを盗んだんだ。トイレの後もずっと貶していたろう?きっと復讐される。僕達には考えもつかない方法で復讐される。もう準備を整えて、糸にかかるのを待っているんだ。いや、きっともう蜘蛛の糸は絡みついているんだよ」
今から思えば、荒船は一切、蜘蛛を非難する言葉を口にしなかった。
それは荒船が蜘蛛だったからだ。
俺の記憶は正しかった。
蝶野は荒船と同じ部署だったのだ。
酒の毒が抜け、代わりに蜘蛛の毒を注入されたかのように血の気が引いて行く。
不安に身体が強張り、まるで糸に絡み取られたかのように身動きが取れなくなって行く。
「糸井ぃ…もう会社へは行かない方が良いよ」
そう出来たらどれだけ良いか。
やりかけの仕事が山積みだ。
いや、そう思う事こそが荒船の…蜘蛛の仕掛けた糸なのか?
一度かかった蜘蛛の糸からは逃れる事は出来ない。
糸井には、天国からの蜘蛛の糸が垂らされる見込みは、まったく無かった。
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