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「え?」
懐かしい声に驚いて振り返ってしまった。そこにいたのは大学で失踪したと騒がれていた、元カノの麻里奈(マリナ)。
きょとんとした瞳。嬉しそうな笑顔。真っ白な薄い着物姿。
「やっぱりカズくんだ!」
麻里奈……
いや、“麻里奈様”は俺に駆け寄り、俺の腕を掴まえた。
白い手に触れられた腕に電気が走る。身体を駆け巡る衝動と感情。尊敬。畏怖。思慕。
……ああ、どうして俺はあの時この方から離れたんだろう。宗教くらいで。
「麻里奈様……」
思ったよりうっとりとした声が出てしまった。俺はその場に膝をつき彼女に向かって頭を下げた。
麻里奈様が俺の頭や頬を手でそうっと撫でた。手が顎の下にまで伸びる。得も言われぬ多幸感が俺を襲う。
しかし一瞬見えた“それ”が俺を引き戻した。白い着物から覗くその腕についた痛々しい傷。まるで縄で縛られた跡のような……赤紫色のアザ。
「……ッ麻里奈様……このアザ……は……」
「ああ。これ?」
麻里奈様は自分の腕のアザを指先でそうっとなぞって嬉しそうに答えた。
「神様よ。私の神様がして下さったの。穢れを浄化するための浄めの儀式の時にね」
麻里奈様の大きな瞳にはよく見ると“コンタクトレンズ”が張り付いていた。
「カズくんも行こうよ。この山でみんなで共同生活してる。みんな神様の“奴隷”なのよ。私は神様のモノ。だから……カズくんも神様のモノ、よね?」
――…麻里奈様が俺の手を引いて山道を歩いていく。
「私、神様に会えて幸せなの。もう他に何もいらないわ。あの人さえいれば」
幸せそうな声。麻里奈様。
「うん」
俺も幸せだ。こんな幸せは他にない。
自分の人生の主役は誰だと思う? 答えは1つしかない。
「……麻里奈様……」
名前を口にしただけで全身を幸せが駆け巡った。俺はただこの人だけを見つめていればいい。
森を抜けると、白い着物を身にまとった人々がこちらに向かって手を振っていた。
みんな笑っていた。
「おーい。戻ったよー」
麻里奈様が群衆に手を振り返す。その袖から覗く腕にはタバコを押し付けたようなヤケドの痕が無数についていた。
どす黒い感情が腹の底から湧きあがり体内をぐるぐる回る。
ぐるぐるぐるぐる。
麻里奈様が笑顔で振り返って俺に言った。
「今から神様のところに案内するね」
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