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…………
自分にとって、大切なものとは何だろうか。
高層ビルの一室、豪華な作りの家具調机と革張りの椅子。そこに腰かけた恰幅のいい中年男は、手にした紙切れを見つめながら考える。
『大切な人のところまで飛びます』
紙ひこうきだった。さっきまでは。
高層ビルの入口。その玄関に入ろうとした時、頭にぶつかったもの。
誰が飛ばしたのだまったく、と悪態をつきながら捨ててやろうと思い、ふとその手が止まったもの。
意味なんて無い。そんな事は分かっている。でも、どうしてか、その皺だらけの紙ひこうきを捨てられなかった。
男は成功者だった。
一代で築いた大企業の社長だった。
見るからに近代的な高層ビルの上層から都会の街を見下ろし、そこに見える全てのモノに影響を与えていると言っても過言ではないほどに、大きな会社の創設者だった。
そんな自分の、大切なものとは何だろう――男は考える。
会社か? もちろん大切だ。全てと言っても過言ではない。
金か? 大事だ。何をするにしたって金は必要になる。
名声か? それも大切なものの一つだ。それがなければ誰にも相手にされない。無ければ自分の言葉は戯言で片付けられる。あれば金言になる。同じ言葉であっても。それが現実だ。
大切なものなど山のようにある。だが――
大切な人は、いるだろうか?
両親――もう顔も思い出せない。とっくの昔に捨てたも同然だ。
兄弟――いない。一人っ子だった。
親戚――名前すら思い出せない。金の無心をされた覚えしかない。
妻――いつの間にか離婚していた。どんな顔だった? どんな声だった? 何故離婚したのだったか。それ以前に、何故結婚したのだったか。
そして、娘――きっと恨んでいるに違いない。
せっかく顔を思い出せる人間なのに。声を思い出せる人間なのに。
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