第1章

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「ゆ、由布子さんと言えば……」 どうリアクションすればいいのかわからず、とっさに思ってもいないことを口にした。 「先生、彼女と付き合っちゃえばいいのに。イトコ同士なら結婚できるし、お二人とてもお似合いでしたよ」 「傷つくなぁ……」 先生は、私にワインのお代わりを注ぎながら苦笑した。 「?」 「彼女は今頃アメリカだよ。愛する旦那と一緒にね」 「え!?」 今回の事件は、例のストーカーにずっと悩まされていた由布子さんご夫妻が、旦那さんの海外勤務が決まって、これ幸いと海外逃亡を図る矢先の出来事だったのだそうだ。 「向こうの準備が整うまで、あいつから身を隠すために、俺の事務所が安全だろうってことになったわけ。でもまぁ、結局あいつの執念の方が一枚上手だったけどね」 「恐ろしいですね……」 「下手なオバケなんかより、人間の方がよっぽど恐ろしいって話だな」 「……」 「それより、キミの方はどうなのよ? あの紙どうした?」 「ああ……」 水に溶けたのか、子どもプール百個分をひねり出した衝撃でびりびりに破れて消えたのか、あのあとどれほど探しても出てこなかった。 「それは残念」 「でも、これでよかった気もします」 「……かもね」 「あ、でも先生、これは見つかりましたよ」 私はバッグの中から、黒光りするモンブランの万年筆を差し出した。 「おお! これはありがたい。この万年筆は、大学時代の恩師から頂いた形見の品なんだ」 「そうだったんですか。奇跡的に壊れてもいませんでした。これでいい作品これからもお願いします!」 「いまどき手書きで原稿書かないでしょ」 「そ、そうでした」 私の愛読書に挟んだ、黄ばんだしおりに書いた『結城ススムのモンブランの万年筆』という文字は、すでにキレイサッパリ消えているだろう。 あの緊急時、保険のために紙を半分に破いて取っておいたことは、当分のあいだ私だけの秘密だ。 ――完――
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