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「ゆ、由布子さんと言えば……」
どうリアクションすればいいのかわからず、とっさに思ってもいないことを口にした。
「先生、彼女と付き合っちゃえばいいのに。イトコ同士なら結婚できるし、お二人とてもお似合いでしたよ」
「傷つくなぁ……」
先生は、私にワインのお代わりを注ぎながら苦笑した。
「?」
「彼女は今頃アメリカだよ。愛する旦那と一緒にね」
「え!?」
今回の事件は、例のストーカーにずっと悩まされていた由布子さんご夫妻が、旦那さんの海外勤務が決まって、これ幸いと海外逃亡を図る矢先の出来事だったのだそうだ。
「向こうの準備が整うまで、あいつから身を隠すために、俺の事務所が安全だろうってことになったわけ。でもまぁ、結局あいつの執念の方が一枚上手だったけどね」
「恐ろしいですね……」
「下手なオバケなんかより、人間の方がよっぽど恐ろしいって話だな」
「……」
「それより、キミの方はどうなのよ? あの紙どうした?」
「ああ……」
水に溶けたのか、子どもプール百個分をひねり出した衝撃でびりびりに破れて消えたのか、あのあとどれほど探しても出てこなかった。
「それは残念」
「でも、これでよかった気もします」
「……かもね」
「あ、でも先生、これは見つかりましたよ」
私はバッグの中から、黒光りするモンブランの万年筆を差し出した。
「おお! これはありがたい。この万年筆は、大学時代の恩師から頂いた形見の品なんだ」
「そうだったんですか。奇跡的に壊れてもいませんでした。これでいい作品これからもお願いします!」
「いまどき手書きで原稿書かないでしょ」
「そ、そうでした」
私の愛読書に挟んだ、黄ばんだしおりに書いた『結城ススムのモンブランの万年筆』という文字は、すでにキレイサッパリ消えているだろう。
あの緊急時、保険のために紙を半分に破いて取っておいたことは、当分のあいだ私だけの秘密だ。
――完――
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