第1章

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屋上の縁に向かう男と由布子さんをなすすべもなく見守りながら、私は手の中にクシャクシャになった例の紙を握っていることに気づいた。 おそらく、無意識に持ってきたのだろう。 とっさに、先生のワイシャツの胸ポケットに入っていた万年筆を掴んでキャップを取った。 先生は私が何をしようとしているのかに気づき、チラッと見ただけで再び男の隙を窺っている。 私は必死で紙に欲しいものを書き、紙を万年筆に巻きつけて重しにすると、由布子さんと男の後ろに向かって思いっきり放り投げた。 「おい!?」 先生がぎょっと私を見た。 「これでいいんです!!」 男が放物線を描いて自分を超えて墜ちてゆく万年筆に一瞬気を取られた。 その隙を見逃さず、先生が男に向かって飛び出した。 「来るな――!!!」 男が由布子さんを羽交い絞めにしたまま低い柵に脚をかけた。 「やめろ!!」 男は信じられない筋力で柵を乗り越え、由布子さんを抱えたまま地上に向かってダイブした。 「きゃあああああ!!!!」 「由布子!!!!」 ――お願い、魔法の紙!!! 全身全霊で短い祈りを捧げながら、屋上の柵に向かって走った。 先生と並んで、柵越しに乗り出すように地上を見下ろした瞬間、ボンッと巨大な空気の塊が弾けるような衝撃が地上から吹き上がった。 !? 同時に、大量の水が弾け、辺りに降り注ぐバシャバシャと盛大な水音が響く。 マンションの近くにいた何人もの通行人が、なにごとかとこちらを向いて目を丸くしている。 「なんだあれは!?」 先生が柵を掴んだまま唖然と私に聞いた。 「ビ、ビニールプールです! 子ども用の」 弾かれたように、地上に向かって走る先生の背中を必死で追いかけた。 男と由布子さんの落下地点に着くと、そこには赤や青のカラフルな子ども用ビニールプールが大量に積み上がっていた。 魔法の紙が私の希望に応えてくれたのなら、水の張ったビニールプールは全部で百個あるはずだ。 辺りは水浸しで、たくさんのビニールプールが積み重なり、あるいは空気が抜けて萎み、水を零しているものや、衝撃で逆さに転がったものなどで埋め尽くされている。 この騒ぎに、野次馬たちも次々に集まってきた。
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