第1章

9/11
前へ
/11ページ
次へ
私と先生は、そんなプールの山が、一際歪んで潰れているカ所に向かって、びしょ濡れになりながビニールをかき分けた。 ほっそりとした由布子さんの腕が、ビニールプールの隙間から伸びているのが見えた。 「由布子!」 必死で近づくと、由布子さんはびしょ濡れで気を失っている。 息はある。 一見、どこも大きな怪我を負っているようには見えなかったが、こういう場合、外から見ているだけではわからない。 「由布子、由布子……」 先生が、そっと由布子さんの頬を叩いた。 すると、ぴくぴくと由布子さんの瞼が動き、長いまつ毛に縁どられた、大きな眼が開いた。 その目が先生を捉えると、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、先生に向かって腕を伸ばした。 「タカシくん……」 先生は、由布子さんの腕を取ると、壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。 私はその様子にホッとして一気に緊張が緩み、わんわん泣いて通りがかりのおじいさんに慰められてしまった。 まもなく警察や消防、救急車が何台も到着し、辺りは更に騒然とした。 先生は由布子さんに付き添って病院に行ってしまった。 狂気のストーカー男はというと、由布子さんと違って墜ちどころが悪く、重傷を負ったものの危うく一命は取り留めた。 治療を終えたら、殺人未遂で刑務所に収監されることになるだろう。 現場に残された私は、事情聴取で何時間も拘束されたが、ビニールプールの出所については、知らぬ存ぜぬで押し通した。 「空中で突然降ってわいた!」という目撃証言が多数出たが、結局うやむやになった。 由布子さんはその後の検査で、いくつかの擦り傷以外どこにもけがはなく、私たちはホッと胸を撫で下ろした。 彼女の検査待ちの短い入院の最中、一度だけお見舞いに行ったことがある。 何度もお詫びとお礼の言葉を頂いて、却ってこちらが恐縮してしまったが、最後に「タカシくんをこれからもよろしくね」とお願いされてしまった。 「いえいえ、こちらこそです」 「ふふ、彼のあんなリラックスした顔初めて見たわ」 「へ? あれ、リラックスしてんですか? 皮肉とひねくれが通常運転? あ、すみません……」 由布子さんはクスクスと笑いながら言った。 「彼はね、気を許さない人間の前では、完璧にハンサムで優しくて誠実なのよ」 それなら断然、気を許されない方がいいなと思った。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加