自分という存在のあり方

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「…戻ってくる?」 「明日ね。」 「社長と同行ってどこに?」 「どこでもいいでしょ。」 「真琴!…分かってるだろ?」 「……………」 「どこ?」 「……家、決まってないから。ずっと社長室に泊まるわけにいかないし。探しに連れていってくれるって。」 「…社長室に?社長って知り合いか?」 「そ。いろいろあったときに偶然会って知り合って、あの日から私を助けてくれた恩人。…もうこの辺でいいでしょ。」 「…分かった。」 絆だって心に闇を抱えている。 心配、不安、そういう感情が払拭できない。 だから構うのか。 好きだから構うのか。 その答えは両方だろう。 私が絆を大事に思ってたように、絆も私を大事に思ってくれていた。 子供のとき、中学のとき、高校のとき。 私と絆は急に距離をおいた。 …分かってる。 …絆にとってそれがどんなに不安か。 私も絆と同じ状況を味わった。 大事な人が突然いなくなる経験は不安となり、生きていると分かっている人に伝染する。 "今"何をしてるのか。 "今日"何をするのか。 逐一電話で確認したいと思うほど不安になってしまうんだ。 「…絆。私はシェフになったんだ。このレストランを任された。帰ってこないわけないでしょ。 ちゃんと戻る。明日会える。」 だったら安心させるような言葉を言うことが "人の心を汲み上げる言葉" 人は束縛だというかもしれない。 ウザいとか思うかもしれない。 でも、親を、婚約者を、目の前で失った私と絆だから理解できる。 …その死に際を、実際に見た私と絆だから。 別離と再会を繰り返し、こうして結局傍にいる絆。 私はこのホテルから離れられない。 そして絆も、私から離れないと決めた。 つまり、自分の思いを変えるときかもしれない。 絆を避けず"向き合う努力"のときかもしれない。 …思いを変えていこう。 そう思った。
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