お約束はできません

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お約束はできません

 隣の部屋から娘の声がする。  言葉が遅く、二歳近くまでほとんど喋ることはなかったが、最近は同じ頃の子以上に口達者になってきていて、嬉しい半面、たまには黙っていてほしいなと思うこともある。  だけど娘はお構いなしだ。パパママはむろん、近所の人だろうと宅配の人だろうと、会って声をかけてくれた人には、それが合図とばかりに怒涛のお喋り攻撃を仕掛ける。  みんな、笑って聞き流してくれるけど、さすがにたまりかねる時もあるから、最近は散歩どころか買い物さえも控え気味。  これってよくないことよねと思いながらも、隣室で独り喋りに明け暮れている娘の声を聞いていると、ちょっと溜め息を吐いてしまう。  本当に、成長著しいのは嬉しいけれど、一体全体、一人きりで何をああまで喋ることかあるんだろうか。  そう思い、耳を傾けていた娘の喋りの内容が、なんだかおかしいことに気づいた。  誰かと話してる?  思いついたことを喋るのが楽しいというより、何でもいいから言葉を発しているのが嬉しいらしく、娘の発言は自由そのものだ。  自分の考えはもちろん、夫婦間の会話の覚え聞きを口にしたり、時にはドラマやアニメのセリフをそのまま口走っていることもある。  最初はその類だと思っていたけれど、聞けば聞く程様子がおかしい。  独り演説にしては会話にやたらと間があるし、覚え聞きではあり得ないような相槌や対応ができている。 「でね、…なの」 「そうなんだー? いいなぁ」 「あのねあのね。それでね」  誰もいない筈なのに成立する会話。それに戸惑っていると、ふと、娘が口にした。 「また明日も遊べる?」 「ダメよ!」  聞くなりそう叫んでいた。 「ママ?」 「明日は御用があってお出かけしなきゃならないの。だからお約束はできません」 「えー」 「明後日もその次も、ずっとずっと、お約束はできません。ごめんなさいねー」 「お約束、ダメって。ごめんね」  それを最後に娘の会話は途切れた。  恐怖はあったけれど、それ以上に娘を案じる気持ちが湧いて、すぐさま隣室に駆け込みその小さな身体を抱きしめた。 「ママ。あのね、今ね…」  堰を切ったように娘が喋り出す。今までここにいたという、名前も知らない『お友達』のことを。  それをにこにこと聞いている間中、娘を抱きしめる腕の震えが止まらなかった。
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