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あの本を手に取った時から、わたくしはこうなる運命だったのです。
後悔はありません。
アラブの港に到着したわたくしは、海賊に撃たれて瀕死の状態でした。
アラブでの初めての夜は、硬い病院のベッドの上で過ごしたのです。
その時もわたくしは天鵞絨の本を肌身離さず持っておりました。
ある朝、わたくしは天鵞絨の繊維がわたくしの肌にくっついていることに気がついたのです。
焦りました。
ちょうどおへそと右乳首の中間くらいの場所で、もしこのまま肌と癒着してしまうようなことでもあれば一大事!と、初めは狂ったように訴えました。
何しろ、50人用の大部屋の一番奥に押し込められていましたので、まともな意見が通るような環境ではありませんでしたら。
医者も初めはわたくしがふざけてやっているとばかり思っていたようでしたが、ますます本の天鵞絨とわたくしの肌が一体化していく経過をつぶさに見ると、心を病んで僧院に引きこもってしまいました。
それからしばらくして、突如天鵞絨はフライパンに溶けるバターのように素早く全身に広がっていき、わたくしを覆う毛皮となったのです。
本物の猫になれた時の感動は、わたくしの人生で間違いなく最大の出来事でした。
いまでは人間だった頃の人生の方が、よほど違和感を感じています。
三味線に貼られる一枚の皮になった今でも、
わたくしはマリーシャのことを思い出すとにやけ顏が止まらないのです。
……
「ばあちゃん! ばあちゃんってば!」
「どうしたね? かっちゃん」
「ばあちゃん、この三味線なんだか頭の中に喋ってくる!」
「何言って!練習サボってんでねえよ。ほれ、ジャンジャラ、そいそい、ベベベベベンってやんね」
そう言って祖母のバチが三味線をかき鳴らす。
祭りが近い。
今年は櫓の中に乗せてくれるかもしれないと僕は思っている。
その為には最低限、あと3曲も完璧に覚えなければならなかった。
余計なことを考えている余裕はない。
べべべべん
僕は雑念を振り払い、祖母のバチさばきに続いた。
了
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