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列車が再び動き出す準備をする為に、また低いエンジン音を響かせ蝉の声を遠ざける。
短い時間だが、少し眠ってしまったらしい。
小さくのびをして周りを見渡し現実感を確かめる。とはいえ、何十年ぶりかの帰郷の途中の道に見覚えなぞなく、ただ夏の日差しの強さだけが目に入った。
たしか母は最後の日も冷やし中華を作ってくれたんじゃなかったか。
「ごめんなさいね。**ちゃんも一緒に連れて行きたかったんだけど、私、おじいちゃんとおばあちゃんに負けちゃった」
どんな顔で言っていたのかは覚えていない。きっと目の前の冷やし中華に夢中だったのだろう。
「でも、大丈夫。私、ちゃんと神様にお願いしておいたから」
神様と聞いて顔を上げると、母の赤い唇はまた歪む。
「本当に願いを叶えてくれる本物の神様に、ちゃあんとお願いしたのよ」
その日の冷やし中華も格別に美味かったはずだ。
上に乗っている具材はありきたりの物ばかりなのに。
母の唇のように赤いトマト。細く切られた胡瓜や薄焼き玉子、同じように細く切られたハムは今では考えられないような鮮やかなピンクと赤に着色されていた。
「だから、さあ。遠慮しないで食べなさい」
夢の中で私は、母の冷やし中華を一度も食べられずにいる。
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