第1章

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 脂ぎった髪はまるで若布のようにぬらぬらとしていて、それを結いもせずに肩に落としている。額には、薄汚れてかぎ裂きになった布を巻いていて、それで右眼まで覆っていた。残った左眼のほうは黄色く濁っていて、目脂でひどく汚れていたが、異様な光を放って右近を見ていた。いかにも無頼の輩の風体であるが、それよりももっとひどい。 「ここで何をしているのだ、珍妙なやつめ」  右近がそう言うと、男は至って真面目な様子で、 「珍妙とは失敬な、独創的と言ってくれ」  と言った。 「ちょっと腹が空いたもので、民家に入って物色中のところ、お前が帰ってきた。そこで今まで納戸に隠れていたというわけだ」  男はそう言うと懐に手を入れたので、右近は刀を抜こうとした。すると男は手のひらをかざすと慌ててそれを制した。 「飛び道具なんか出すもんか。俺は卑怯な武器は嫌いなんだ」  右近は「その腰の鉄砲と短筒はなんだ」と言ってやりたかったが、兎角、この奇妙な男から目が離せない。足元はふらふらとして酔っぱらっているようにも見える。  ただの変人ならば追い出せばいい。盗賊ならば捕り方を呼ぶまでだが、右近としては、この家に役人を入れるのは嫌だった。  そんなことを考えていると、男は懐から金の鎖を取り出した。右近は仰天した。  右近の父の形見の南蛮数珠である。男はさらに、粘土で作ったきりしと像や、禁制となった写しの『どちりな・きりしたん』の冊子などを取り出して、右近に見せた。 「隠し場所として納戸というのは、あまり賢くないな」  右近は咄嗟に男の手からそれらを奪い取った。男は抵抗もしない。ただ黙ってされるようにしていた。だが、右近を見下ろしてこう言った。 「俺は誰にも何も言わない。お前も何も言わない。それで取引成立ということで、如何?」  右近は答えた。 「盗賊を見過ごすことなどできない。役人を呼ぶ」  右近は男を残して土間に出ると、戸を開けた。その瞬間に、後頭部に固いものが押しつけられた。振り返ると、男は短筒を構え、右近の頭に狙いを定めていた。 「驚かないところを見ると、短筒を知っているのか」  男は少し口の端をあげてそう言った。笑うと、汚れた黄色い歯が覗く。右近は答えた。 「オランダ商館で見たことがある。それはオランダ製のマスケット銃だ」  右近がそう言うと、男は感嘆の声をあげた。右近は続けてこう言った。
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