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さんた・るちやによる十三秒間の福音
朝からみぞれ混じりの雨が降っていた。ぬかるんだ道には、下駄の歯の跡がいくつも残っていて、抉れて盛り上がった部分には霜が降りていた。夜になったらこの形のまま凍るだろう。
長崎へやってきてから、こんなに寒い冬を経験するのは初めてだった。十手を持つ手さえかじかんで、刀を抜けるかどうかも不安になった。孫四郎は何度も柄や鍔に手を添えては確認し、そしてすぐに羽織に手を引っ込めた。従ってきた目明かしは孫四郎の背後で、蓑にくるまって文句ばかり言っている。しかし、孫四郎はお構いなしに、呼子を吹いた。
江戸町の路地裏を回り込み、土蔵の扉を破って踏み込んだ。その瞬間、歌声が止んだ。夜のような暗がりの中に、人間の目が梟のようにいくつも浮かんでいた。それらがただじっとこちらを見つめている。
彼らはいつもそうだ。ミサの途中でも抵抗しない。自分たちを捕らえにきた奉行所の同心の顔を見ると、諦めのついたような、或いは安息を得たような、白湯のような澄んだ顔をして、こちらをじっと見る。
ただし、この日は違った。伴天連がいた。彼らは伴天連を隠し戸から逃がそうとして、黒いガウンの裾にすがりついた。だがその伴天連も、穏やかな表情を浮かべたまま、孫四郎を見て、頷いた。するとやはり彼らは、また白湯のような顔に戻って、おらしょを唱えるのも止め、正面に飾られた黄金の十字架に向かって祈るのも止めた。すすきのように力なく立ち上がって、孫四郎を見た。
彼らの祈りの家は、これで終わった。
彼らは孫四郎に促されるまま、続々と縄をかけられた。年寄りもいたし、若い娘もいた。赤ん坊を抱いた母親もいれば、老いた母に寄り添う息子もいた。だが皆一様に、胸には南蛮数珠を提げている。その上、彼らは揃って伴天連の教えに従って、これから始まる苦難を喜ぼうとしていた。緊張と恐怖でひきつった老婆の口の端が、微笑んでいるように見えたので目明かしたちは気味悪がった。しかし、それも孫四郎には見慣れた表情だった。
吉利支丹とはそういうものだ。
孫四郎は彼らを同輩の同心たちに預けると、彼らが荷車に乗せられるのを見届けて、もうそれで踵を返そうとした。だが、車が動き出したとき、一人の娘が荷台の上から孫四郎のほうを振り返った。
「山中様でございますか」
色の白いその娘がそう言ったので、孫四郎は驚いた。
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