0人が本棚に入れています
本棚に追加
「どうかお願いが――」
だが、彼女がそう言い掛けたところで、車軸が大きな音を立てて軋んだ。みぞれの混じった泥に車輪を取られて、車はずるずると醜い音を立てた。だから、孫四郎にはもう、その娘の言おうとしたことは聞こえなかった。小者連中が力ずくで車を引き、ようやく泥を這いだしたかと思うと、それからはもうみるみるうちに遠ざかっていった。
彼らは奉行所で詮議もされないので、これから先のことはもう孫四郎にはあまり関係がない。大村あたりで斬首か火あぶりか穴吊りになるか、或いは雲仙地獄で熱湯に突き落とされるか、とにかく日を置かずしてそういう運命になる。
釜戸にくべる薪のようだと孫四郎は思った。明日も明後日も、吉利支丹は死んでいく。
最後にこちらに声をかけたあの娘も同じような目に遭うだろう。そういえば、江戸に残してきた妻と同じような、薄青色の小袖を着ていたなと、そんなことを思った。まもなく車は路地を折れて、見えなくなった。
雲が厚くなってきた。夕方からは雪になるかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!