第一話

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「お前に話がある。ついてこい」 そう言うと彼は、俺の右手を素早く掴み、強く引っ張った。 無理やり立たされた俺はその早さについて行けず、少しばかりよろけてしまう。 そんな事もお構いなしに、彼は俺を遠慮なしに前へと進む。 だが急にピタッと引っ張られる力がなくなる。 彼が歩くのをやめたのだ。 いや、何者かによってやめさせられた、の方が正しい表現だ。 アキだった。 いつの間にか席を立ち、彼の前へと移動していたようだ。 俺がアキ、と呟くと、アキは何も言わずに俺の方を見る。 だがすぐにアキは目の前の彼へと目線を戻した。 彼に警戒するような鋭い眼差しを向けながら、アキは静かに口を開く。 しんと静寂が広がる教室には、彼の呟きも皆の耳には十分届いた。 「生徒会長さんがこいつに何の御用で?」 「…お前には関係ない」 「それが大有りでね。俺はこいつの保護者みたいなもんなんで」 「だったらなんだ?こいつを連れ出すのに許可が要るとでも?」 「許可なんて要らねぇっすよ。連れ出すのが駄目なだけで」 「…くだらん戯言を」 アキのおかげで彼についての新たな情報を得た。 どうやら俺を引っ張っているこの男子は生徒会長らしい。 そう言われると、入学式とか色んな所で壇上に上がって話していたような、と脳に浮かぶ。 俺が静かに「生徒会長なんだ…」と呟いたが、今度は皆の耳には届かなかったらしい。 アキと生徒会長らしい彼が言い争っていたからだ。 皆の意識はそちらに集中されているようだ。 アキの眉間のしわがいつもより深く刻まれている。 これはアキが怒っている時の表れだ。 二人が暫く言葉をぶつけ合った後、生徒会長は小さく舌打ちをし、俺の手を更に強く掴み、アキを無視して教室を出て行った。 アキは急いで振り向き、俺の手を握る。距離が少しばかり足りず、指先だけ握られる形となった。 少しばかりしか握られていない自分の手を見た後に、俺はアキの方へと目線を変えた。 アキは弱々しい面持ちで俺の名前を呼んだ。 「ユキ」と発したその言葉は、今にも消えそうなほど掠れ、響くことすらしなかった。
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