◆・夏期限定・◆

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『間もなく、お待ちかねの目的地に到着いたします』 仕切り越しに運転手さんの陽気な声が聞こえる。 何事もなかったかのように…… “ゴトリ……” 何かが落ちた音が聞こえた。 見ると、竹田は血液すべてを抜き取られたらしく、血の気が失せて乾燥した肌が、バリバリと体に貼り付き、まるで生きたまま僅かな時間でミイラのようにされとしか思えない姿に変えられている。 そして足元には、先程までまわっていた眼球が落ちて…… 竹田の血をたらふく吸い、パンパンに膨らみさらに巨大化した蚊が、不気味な羽音を響かせ、歯を鳴らして震える僕を見る。 「ひっ……ひぃぃ~……竹田、竹田ぁ…あっ…あああ……」 運転手さんは『その子は恐がらせることが大好きなんです。本当に悪戯っ子でしてね』と言っていた。 自分達がした恐い悪戯を、過剰なまでに恐がっている不様な僕を見て、ニタリと喜んでいると言うことか? だが、こんなのは悪戯レベルではない。 僕はもう一度竹田を見る。 竹田は、人付き合いが苦手で、社員の中でも地味で無愛想だと浮いていた僕にとって、唯一自分を出して話ができる同僚だった。 僕とは対照的で、いつも笑顔で明るく、誰に対しても優しくて……竹田を悪く言う人なんていなかった。 女性達は竹田に好意を抱き、男性だって年齢に関係なく一目おき、皆を引っ張ってくれるリーダー的な力も、仕事の能力だって群を抜いていたと言える。 僕にとっては、ただの親切な同僚以上の……憧れと淡く秘めた想いを抱く存在だったんだ。 伝えられるとは思っていなかったし、伝えようとも思っていなかった。 だけど、こうなってしまったら、たった1%の可能性もなくなり、何もかもが0だ。 まるでビー玉のような竹田の目玉が、僕を見つめている。 僕があの時、恐がらずに竹田に手を伸ばせていたら、もしかしたら結果は変わっていたかもしれない。 竹田ではなく、僕が目の前の巨大な蚊の群れの餌食になっていたら。 ううん、僕がもっと早く、タクシーを手配さえすれば、このタクシーに乗ることもなかったんだ。 「うぅぅ……うわぁぁぁぁ~っ!!」 僕は両手を振り上げ、こちらを向いている蚊を叩き落とそうと振り降ろした。
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