空を渡る点P

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 身辺の整理なんてしなかった。立つ鳥跡を濁さずというが、私は濁したままで死にいこうとしていた。なんというか、めんどくさかったのだ。もろもろが。具体的にはさまざまな解約の電話が。  電話は大嫌いだった。ただでさえ、会話というのは高度なコミュニケーションツールであって、素人には扱えない代物なのに、電話では会話において重要な、相手の反応を窺うという行為ができない。不全だったコミュニケーションはその深刻さを増幅させ、電話嫌いは今日も増加の一途を辿るだろう。  だが私はそんな世界を見ずに済むのだ。遺書はなく、死体もすぐには上がらないと思う。  すがすがしい快晴の日の朝だった。私の足取りは初めての遠足のように軽い。そうだ自らの不幸に酔っ払って、テンションが高くなければ自殺なんてできない。良い自殺日和だった。  山道をハイキング気分で歩いていく。ボロアパートとは違う、むせ返る土の香りと木々の匂いを胸にいっぱいに詰め込んでいる。飛び降りた先で破裂し、飛び出した臓器から木々や土の匂いがすれば面白いと思った。  しかし、人体が破裂するほどの高度がどれくらいか私は知らなかったので、そんな考えを振り払った。大きく吸い込んでゆったりとしていた呼吸は、いつか浅くなり回数を増やしている。心臓が痛いくらいに脈打ち、飛び降りるまでもなく死ねるとすら思った。視線はもう自らのボロ靴にしか注がれておらず、やがて腰が進入禁止のロープに触れる。
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