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待合室の男
インフルエンザを伝染され、近所の内科に行くことになった。
流行しているらしく、待合室には結構な数の患者がいた。
それでも空いている席を見つけ、診察券を出した後はそこに座り込んでいた。
その時に、一人の患者が目についた。
待合室の一番奥まった席に座っている男。年は俺と同じ、三十前後くらいだろうか。来た時にはもういたけれど、一向に名前を呼ばれない。
俺が来る直前にやって来たのだろうかと思ったが、その人より先に俺が診察室に通されたから違うようだ。
だったら薬を待っている人だろうか。その考えも湧いたけれど、俺が来たすぐくらいに診察を受けていた人達が、どんどん薬を受け取って帰っているのに、その人は座っているだけだ。
迎えが来るまで待っているんだろうか。だとしても遅すぎる気がする。
考え出したらきりがなくなり、俺は相手に悟られぬよう、チラチラとそちらに視線を向けていた。
そのせいで、呼ばれた名前への反応が遅れた。
待合室に響いた俺の名前。返事をするより先に男が立ち上がった。
あれ? 今呼ばれたのって、俺の名前だよな? なのに何であの人が応じるんだ?
もしかして同姓同名か?
のんきにそんなことを考えていると、待合室の最奥から男はゆっくりと歩いて来た。
ここにいるからには病人なのだろう。そのせいだとしても歩みがひどく遅い。
一歩、一歩、とてもゆっくりと、でも確実に進んで来る。
俺が座っている椅子の隣を通過する…。
熱でだるいのも忘れ、俺は勢いよく立ち上がると受付に駆け寄っていた。
事務員さんが、そんなに慌てなくても大丈夫だと笑いながら言ってくれる。その人に診察料を払い、薬を受け取ると、俺は待合室を一望した。
男の姿はどこにもなかった。さっきまで座っていた場所にも、俺が座っていた辺りにも…そう、待合室のどこにも。
俺が受付でやりとりをしている間、待合室に入ってきた人はいない。出て行った人もだ。
なのに男の姿はどこにもなく、誰もそれを不思議がらない。
風邪の悪寒よりも冷たいものが背筋を駆け抜ける。それに身震いしながら俺は医院を後にした。
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