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「いえ、大丈夫です。僕も、あなたの友人の友人といったところです。それほど、親しかったわけではないんですよ」
嘘は付いていない。でも本当のことも言っていない。そんな言葉を返す。
誠意の欠片もない言葉だ。
でも、僕と亜希子の間に誠意なんてものは必要ないだろう。
僕はそこまでおこがましくない。
「そう……なんですか?」
不思議そうにこちらに視線を向けてくる。
「ええ。ちょっと、入院されたと聞いたものでお見舞いをしておこうかなと思っただけなんですよ。すぐにお暇しますから」
「そう……ですか」
少しだけ。寂しそうにつぶやく。
「でも、元気そうで安心しました」
「そうですか? まぁ、体自体は元気なんですけどね」
言って笑う。
その笑顔が昔のようで、僕はほっとした。
「じゃあ、僕はこれで失礼しますね」
振り返ってカーテンを開ける。
病室の出口へ向かおうと一歩を踏み出した。
「中田って死んだんですか?」
小さな響きが聞こえた。
ぎくりとした。
ゆっくりと亜希子に向き直る。
亜希子は膝の上のノート見つめながら黙っている。
こちらを見ようともしない。
沈黙。
どちらも口を開こうとしない。
僕の答えを待っているのだろうか。
この質問の意味は一体なんなのだろう。
亜希子の記憶は戻っているのだろうか。
戻っているからこそ。
亜希子はこんな質問をするのだろうか。
記憶がもどったかもしれない。
そう考えたときに浮かんだ感情は恐怖だった。
それは僕の思惑が、期待が裏切られたからに違いないからだ。
僕は亜希子に記憶を取り戻して欲しくなかった。
でも、亜希子の精神状態は引き戻したかった。
だから、あんなことをしたのだ。皆を集めて。偉そうに語って。
嘘で都合の良いエピソードを創り語ったのだ。
結果。
亜希子の精神は戻ってきた。
そこで。それだけでよかったんだ。
「どうしてそんな事聞くんですか?」
やっと口にした言葉がそれだった。
どれぐらいの沈黙があったのかも分からない。
質問に質問を返した僕の言葉に亜希子は答えない。
黙ったままノート見つめている。
そして、小さく笑った。
気がする。
でも、すぐに困ったような表情を浮かべて首をかしげた。
「どうしてですかね。私にもよくわからないんです」
その言葉にそっと胸をなでおろす。
亜希子に気づかれないように。
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