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己の無力さに呆れさえ覚えたそのとき、また何かが近づいてくる音がした。
先ほどの『何か』に追いつかれたか、それとも別の野生動物か。どちらにしろ、気力と体力を消耗して動けないこの状態で襲われれば、されるがままになるしかない。
危険を察知してとっさに身体が動くかもしれないが、全速力で走ることはもうできないだろう。そうなれば、きっとすぐに追いつかれる。そうなったとき、身を守るための武器すら持っていない僕がどうなるかなど、考えるまでもない。
ああ、詰んだ。今度こそ、僕は死ぬ。
でも、それでもいいや。
どうせ、生きていたってしょうがなかったんだから。
自嘲気味に笑って、視界がにじむ。
やり残したことがあるとか、もっと生きたかったとか、そういう感情よりも。
単純に――死ぬ瞬間が怖い。
喰われるだろうか。どれだけ痛いだろうか、苦しいだろうか。ここで死んだら、そのあとは人知れず骨と朽ちていくのだろうか。
想像しただけで、怖くて、そんな自分が情けない――。
足音が、草木をかき分ける音が迫ってくる。同時に、一筋の光が照らされる。
怪訝に思っていると、ふいに音はぴたりと止んだ。強い光が顔に当てられ、そこに何がいるのか認識ができないまま目を強く閉じる。それでも、自然の光ではないことだけは分かる。だとしたら、そこにいるのはおそらく人間だ。少しだけ安堵した。
閉眼していても感じる眩しさに顔をそらす。その瞬間「うわっ」と驚いたような声が聞こえた。やがて光は僕の顔から逸れたようだ。薄目を開ける。急激に訪れた明るさに視界がちかちかしたが、次第に慣れてきた。
そこにいたのは女の人だった。
闇に溶けるような黒い髪は鎖骨を少し超えたくらいの長さで、頭には暗い色のキャスケット。
柄もない長袖のTシャツにジーンズ。腰に巻きついているホルスター。
細身な体型に似合わないほど大きなリュックサック。
彼女は手に持っている懐中電灯で僕の身体を舐めまわすように照らすと、
「生きてる、の?」
澄んだ声で、心底意外そうに尋ねてきた。死んでいるとでも思われただろうか。純粋にショックではあるが、こんな場所で人が倒れていたら死体だと認識されても仕方がない。
僕はかすれた声で答える。
「生きてます……。隣町に、行きたかったんです」
「こんな森を通って?」
女の人は不思議そうな顔で首を傾げた。
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