第3章 『光陰矢の如し』

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私達日本人の言語、文化は中国から大きな影響を受け、発達して来た。故事や諺も然りである。だが、その故事などの中に今日にマッチしないものが多く見受けられるようになって来ているのも事実である。 例えば、『光陰矢の如し』。これを最初に言ったのは孔子だとか、いや、唐時代の詩人李益だなどと言われているが、いずれにしても1000年も以上も前に生まれたものである。 意味は、時間はあっという間に過ぎるから無駄にすべきではない。時間の過ぎ去る早さを矢に喩えたものだが、当時一番早いものが矢以外になかったのであるから、それはそれで仕方がない事ではあるが、今日、矢より速いものはいくらでも存在する。バイク、車、電車、飛行機などなど。従って、今日風にアレンジすべきで、速さを象徴するものとして『銃弾』を用い、『光陰銃弾の如し』が良いのではないかと私は思うのだが、どうであろうか(笑)。 そして、前々から気になっていた故事がある。それは『杞憂』である。 意味は、あれこれ無用な心配をする事。これは、中国の周代、『杞』という国に住んでいた人が毎日のように天が崩れ落ちないだろうかと心配し、周囲の人から嘲笑を浴びていた事に由来するものだが、本当に天が崩れ落ちる事はないのであろうかと常々私は気になっていたのである。 実は、十数億年後、天が崩れ落ちる可能性がある。我々人間が生存していく為に必要不可欠な太陽が消えてしまうからなのである。 太陽は自ら光を発する恒星、どんどん成長して大きくなり、最後は爆発して消えてしまう。現在は主系列星という安定期にあるが、今も成長し続けている。そして、主系列星が終わると巨大化が始まり、更に膨張をし続け、最後には爆発して消えるのである。詰まり、その爆発の影響を受け、地球が消滅してしまうかも知れない。そうなれば天は崩れ落ちざるを得ないであろう。 周は今から約3000年前、中国に存在した国、当時の人々が太陽の性質、寿命を知る由もなく、『杞憂』という故事の成立に何ら疑問を抱かないのもしょうがない。不知が故に為せる結果であった。 だが、今述べた事から、天が崩れ落ちる事はないとは絶対に言えないのである。 尤も、天が崩れ落ちる程の影響を受けるのであれば、人間は生存することはできず、他の故事や諺も当然消滅して行く事にはなるが(笑)。
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