第2章 変転

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 そんな涙ぐましい努力の甲斐もあって、貧乏ヤンキーから清楚なお嬢様キャラへの転身は着々と進んでいた。  金曜の夜中、二階にある自室で、翌週から始まる期末テストに備え数学の問題集を解いていると、階下から玄関のドアを威勢よく開閉する音が聞こえてきた。  階段を降りると、玄関先で杏子が体を捩じるようにして横たわっていた。 「お母さん、そんなとこで寝てたら風邪引くよ」肩を貸して抱き起こす。左だけハイヒールを履いたままだったので脱がせた。彼女の体からはいつものように酒と煙草の匂いがした。  慶一郎の家に移り住み、その潤沢な公務員年金の恩恵に与り始めると、直ぐに杏子は物流センターのパートを辞めた。それから最初の半年程は彼女も、久し振りに得た有り余る時間を謳歌していたようであったが、次第に自由すぎる環境を持て余し始めたようだ。目的のない空疎な生活の中で徐々に煮詰まってしまったのだろう。結局ひと月ほど前から知り合いの伝手で週三日、スナックの雇われママをするようになった。  緑は杏子を一旦リビングのソファーまで運ぶと自らはキッチンへと向かった。 「緑ごめーん、お水ちょーだーい」カラオケで歌い過ぎたのか、それとも酒やけか、背後から杏子が掠れた声を上げる。緑は冷蔵庫からエビアンのボトルを取り出しながら、曖昧に返事をした。 「そんなに飲まなきゃいけないもんなの」グラスを差し出すと、ソファーの上で杏子はゆっくり体を起こした。  質問には答えず、「ごめんね、ありがと」言いながら受け取ると、一息に飲み干した。 「こんな生活してたら体壊すよ」 「そうね……」杏子は力なく呟き、しばらく空いたグラスを見つめていた。「最近私、混乱しているの」 「そりゃあ色々あったから、分かるけど」  緑は杏子の部屋まで付き添って、彼女がベッドに入るのを見届けると、自分も部屋に戻り床に付いた。 「ごめん、そこのジャム取ってくれる」 「ん? どっち? こっち?」 「うん、そっち」  翌朝十一時頃、緑は杏子とリビングで遅い朝食を摂っていた。土曜はゴルフの日だそうで、この糞寒いのに慶一郎は朝早くから出かけている。 「ねえ緑、お父さんが工場で事故の責任なすり付けられたときにね、予想していたより比較的軽い罪で済んだでしょう」
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