第1章 発端

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 灼熱の陽光が照りつける午後、トタン工場内の澱んだ熱気に包まれながら、青山修一は黙々とルーチンワークを続けていた。顎から汗を滴らせながら、何も考えず、ただひたすら、金ヤスリを持つ手に力を込め続ける。NC旋盤が五分おきに作り上げる金属部品、そのバリをこそぎ落とすのだ。  そんな朦朧としていた修一の意識を覚醒させたのは、けたたましく鳴り響く非常サイレンであった。入社以来はじめて聞く派手で賑やかな警報音、しかし気にはなりながらも、下っ端の修一が持ち場を勝手に離れるわけにもいかず、事故現場から戻って来た年下の先輩たちが話すのを聞いていた。 「やばいのう、あそこ田代さんのとこやろ」 「さすがに今回は行政処分かもしれんぞ」 「役員連中もぎょうさん集まってゴゾゴゾしょったのう」  それから一時間ほど経って今度は別のサイレンが聞こえてきた。耳に付く何処となく悲しげな旋律が、周波数を歪ませながら近付いてくる。工場内のメイン通路に進入してきたのは救急車のようである。その直後、社内放送で修一は呼び出された。 「まだ分かってないみたいやのう……。あののう、ええか! お前がやったかどうかなんて事はどうでもええんじゃ!」工場内にある現場事務所の一室で机を挟み、工場長の梶原が半ば恫喝するように捲し立てた。 「ちょっと考えてみてくれ。お前みたいな、長いこと非正規のしょうもない、何の技能も経験も身に付かん仕事で食い繋いできただけの、既に四十近い人間を、うちの会社が正社員として中途採用した理由というものを、考えてみてくれって言うとんじゃ」  確かにそれは不思議な出来事だった。一年程前、通い慣れたハローワークで、既に顔馴染みとなっていた職員が珍しく勧めてきた正規雇用の案件。しかも全く経験のない鉄工所の作業員である。 「なにを鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔しとんじゃ」梶原が日に焼けた顔を訝しげに曇らせ、首を傾げていた。「ここまで言うてもまだ分からんのか」  彼は作業着の胸ポケットからハイライトを取り出し、せわしなく百円ライターで火をつけると、苛立たしげに煙を吹かし始めた。 「あののう、ええか。この不況の中、うちみたいに小さい下請けが生き残ろう思うたら、多少のリスクは避けられんことなんや」  以前、梶原は朝礼で言っていた。
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