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あたりはもうすっかり暗くなっていた。
暗くなっていたが、日中の高熱がまだ空気中に残っており、その日は熱帯夜となっていた。
ろくな水分も栄養もとらないで、しばらく彷徨い歩いていたので、風呂あがりのように身体が火照り、その表面を汗がびっしょりと垂れていた。すぐに汗も出なくなり、身体から白い粉が吹き出してきた。
激しい頭痛と吐き気が急に襲ってきて、どうしようもないほどの喉の渇きが僕の内部から湧き出てきた。
熱中症というものだろう。意識が朦朧としてきた。そんな状態の中で、僕は幻覚を見たのかもしれない。
ただ、幻覚にしては、あまりにも強烈に記憶に残り、確かな五感によって、視、聴き、触り、嗅ぎ、触れてしまうことができた。
得体のしれない、白く光る大きな物体が、僕を手招きしている…。
なんだか行っちゃいけないような気がしながらも、僕は手招きする不思議な生き物の後を追って、青く光る路を進んでいった。
ーー気がつくと、一軒の家の前に立っていた。
看板が書かれている。
薄汚れていて、周りに灯りもなく、路から出てくる青白い光のおかげで、ようやく、“は…ぺこ…堂”とだけ読めた。
店から灯りもないので、店は開いているかわからなかったが、“開店中”の文字も見え、それになぜだか入らなきゃいけないような使命感に駆られ、店の扉を開けた。
中は意外に明るかった。
しかし、飲食店にはつきものの客の来店を知らせるベルもチャイムもなく、ましてやいらっしゃいませという、歓迎の挨拶もなかった。
というより、そこの店には自分以外の人間の気配がまったく感じられなかった。
聞こえてくるのは、空調や冷蔵庫の駆動音、排気ファンの回る音、鍋のぐつぐつ煮えたぎる音、そして水道から水のちょろちょろと流れる音。
さっきまで、誰かがいたのは確かだ。いや、気配に気付いていないだけで、本当は誰かがいるのかもしれない、そう思って、勇気を出して、小さく声を出してみた。
「…すみませーん…。」
返事はない。
もう一度、今度は大きな声で。
「すみませーん!」
やはり返事はなかった。返事を出せるようなものの気配も相変わらずないままだ。
すると、そのとき突然大きな音がした。
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