八尾市

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万葉集に 河内女の手織りの糸は繰り返し 方糸なれど 切れるとは思うな 方糸  一本でおられた織物 方糸  方思い 片思いでも 私の思いは切れなません 繰り返し   片思いでもあきらめませんよ 昔は機織りは 女性の仕事でした 織姫ですね   河内は 河内木綿 木綿が入ってくる前 古代から 河内は織物の町だったようですね 河内木綿 今は 殆ど おられていませんね 戦前 まででは 盛ん だったようですね 今東光さんの子妻南京に描かれてましたね 河内木綿 アメリカ産に押されて衰退したようですね 同じ大阪の泉州タオルや 今治タオル は 輸入品の綿 に切り替えたので 生き残ったようですね 河内は河内木綿にこだわり過ぎたようです それと八尾牛蒡 若牛蒡 大阪に持っていくと けっこういい値段で売れたようですね この若牛蒡 子供のころは 無かったですね それが数十年前あたりから 栽培が再開され ちょっとした。八尾の名産になっています 前の章に書いた通り 今の八尾の名産は地味ですね 河内木綿 昔は かなりの産業だったらしいく 一財産築いた人もいたようですね 木綿  江戸時代は河内木綿出河内平野は 潤っていたんでしょうね 河内は江戸 近世 だけでなく 少なくとも 中世 平安じだいには 賑わっていたようですね 今は そうでは無いですが 十三峠 を通って 奈良から河内へ 沢山の通りました そのまま 降ると 高野街道まで 続いています 松の馬場 玉祖の石の鳥居 閉校した 中高安中学生の前にあります とても 大きな 石の鳥居 その前の広い道路 高野街道でした 子供の頃 なんでこんなとこに こんな 広い道があって こんな 大きな鳥居があるんやろと 思っていました 昔は メインストリート だったんですね
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