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「ほらほら、何時までもそんな顔しないの。
雨も上がったしオープントップバスや。
ご飯も待ってるよ」
安奈が二人の肩を掴んだ。
三人ははしゃぎながらホテルへの道を急いだ。
母が雨季を嫌うので、この時期両親は韓国へ帰っていた。
母の店は人に任せ営業を続けアパートも残したままだった。
「別れたら帰る所が必要だから」
母が笑う。
「僕から別れる事はないよ」
父も笑う。
まるで恋愛中のカップルのようで、息子の自分の方が恥ずかしい。
人を好きになるとはこんな感じなのだろうと想った。
両親の離婚や再婚、学校や生活環境の変化に追われて、女性を好きになる暇など無かった気がする。
友人達が花やプレゼントを抱え、ガールフレンドとのデートの話をする中、横目でそれを見ていた自分がいた。
(とにかく、今は忙しい)
独り言を言った。
両親が香港を離れている間は父の代わりも勤めなければならない。
責任も大きいしプレッシャーもあった。
ただ、時々会社に来る祖父がジュニを気に入っていて、何くれとなく世話をやいてくれたりアドバイスをくれた。
外で生まれた孫を可哀相に思っての事だろうと彼は想った。
午前中に終わる予定の会議が長引き、自分のオフィスに戻れたのは午後一時を過ぎていた。
留守伝のメッセージにはジフンの声が四件も入っている。
今日は彼の道場の開所三十周年を祝う会に行く約束だった。
(この時間だと車での移動は無理だな、地下鉄にするか)
着替えに帰る時間さえ無さそうだ。
どうせチムサーチョイのブティックで祝いに時計を選ぶつもりだった。
ついでに着替えも買うことにして会社を出た。
(傘が要るかな)
空は重たい雲で覆われていた。
セントラルからチムサーチョイまで、地下鉄だと十分もかからない。
学生の時はよく三人で地下鉄に乗った。
買い物を済ませ店を出るころに大雨になった。
急いで駅の入り口に駆け込んだが、人でなかなか階段まで行けない。
荷物も邪魔をして人垣を抜けられないのだ。
右手の荷物を左に持ち替えた瞬間人の波に押された。
と、同時に誰かに手を掴まれた。
掴んだ手の力が一瞬抜けたと思った時また人波がゆれた。
そして再びその手に力が入れられた。
見ると、自分の手を掴まえていたのは小柄な女性だった。
(大丈夫か)
と声を掛け周りを見た。
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