雨の出会い

5/7
前へ
/106ページ
次へ
女性のすぐ後ろに階段が見えた。 取り合えず安全そうな所へ連れ出そうと思い、掴まれた手を握り返す。 「ついて来て」 と声をかけた。 人垣を抜けると女性をのぞき込んだ。 青い顔をしている。 階段から落ちそうになった恐怖を引きずっているのだろう。 「大丈夫か?ひとり?何処に行くつもり?」 そう聞いてみたが言葉が通じていない様だ。 中国人ではなさそうだった。 「ジャパニース?」 そう聞いて初めて小さな声で返事が返ってきた。 まだ掴んだ手は離さない。 (困ったな、時間が無いのに) どうしたものか?と思っていると、友人らしい二人が声を掛けてきた。 彼女が手を離してくれた。 礼を言っているようだが英語もうまくないらしい。 (もう大丈夫だな) やっと地下鉄へ向かえる。 携帯が鳴った。 ジフンからの催促の電話だろう。 ジュニは改札へ急いだ。 開所三十年のセレモニーはもう始まっていた。 祝いの時計を渡して遅れた事を詫びた。 「会議が長引いて地下鉄にしたんだけど、雨で人が多くて」 そう話しながら自分の手を掴んだ女性を思い出した。 掴まれた自分の手を眺めているとチャンスがやって来た。 「悪い。雨で車が動かなくて」 その左の頬には口紅の跡が有った。 チャンスは女性にもてた。 家業を継ぎ父の代よりなお店を増やし、もしかしたら三人のうちで一番忙しいかも知れないのに、いつも恋人がいた。 もっともあまり長く続いたためしがなく、別れるたびに失恋の酒の相手をさせられた。 そして最後には 「どうして、お前は女を作らない。 もしかして俺が好きなのか?」 訳の解らないことを言い出し 「悪いが俺は諦めてくれ。 お前の事は好きだがあくまで、友としてだ」 と謝られた。 笑うしかない。 こっちだってそんな趣味は無い。 ただ、本当に縁が無いのだ。 一度も気になる女性に出逢わないだけだ。 どんな女が良いんだ?と聞かれてみても、何も思い浮かばない。 母を見ていると女性がよく解からないとも思う。 そう思いながら掴まれた手を眺めた。 冷たい手だった。 よほど怖かったのだろう。 青ざめた顔が手の冷たさをもの語っているようだった。 小さな手だった。 安全な所へ連れ出してもなお、自分の手を離さないほど困惑しているようすが、何故か今頃になって、可愛らしく思えた。 「何をニヤけてる?」 ジフンが声を掛けた。
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加