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船はゆっくり港へ向かっていく。
水面には港に灯された赤いランタンの明りがゆれていた。
「姫さん、間もなく港に入ります。
でも上陸できるのは明日になると思います」
一条祐盛が声を掛けて来た。
「やっと着きましたねぇ」
美弥子が亜子の顔を覗き込む。
力なく微笑みながら頷く事でそれに返した。
唐津の浜から此処まで二年の月日を掛けて来た。
冬の玄界灘を二ヶ月もあれば到着できるはずの船旅が途中嵐に呑まれ南へ流された。
六艘有った伴舟も半分に減り、亜子達が乗った親船も破損が酷く改修までに一年、潮の流れを待って半年、春の嵐を避けながらようやく船旅を終えるこの港に入ったのだ。
京の都を出て唐津までの道程を入れると気の遠くなるような旅であり、しかもまだこの先、陸路を一ヶ月ほど進まねばならなかった。
「なあ、みやさん、
母様が作ってくれた打掛はまだ着られるかしら」
侍女の美弥子を亜子は『みやさん』と呼んだ。
父一条智典の所有する薬草園の『長』の姪であった美弥子が亜子の許に来たのは、亜子が七歳、美弥子が十歳の時だった。
前年の飢饉で美弥子の親兄弟も病に倒れ、ただ一人生きのこった美弥子を荘園の長の佐吉が引き取った。
年齢より身体の小さかった美弥子は従兄達に付いて行けず一人でいる事が多かった。
それを不憫に思った智典が一人娘の遊び相手にと侍女に召し上げたのだ。
侍女とはいっても歳の近い娘二人、智典の人柄もあって姉妹のように育った。
亜子の唐行きの話が持ちあがった時にも、美弥子は自分から同行を申し出てくれた。
そもそも亜子の唐行きは宮中の権力争いが発端だった。
父智典は公家とはいっても名ばかりで官職を持たなかった。
だが代々受け継がれた薬草園からは上質の薬草が取れ裕福だった。
何より天皇の口に入る薬の殆どが、この薬草園のものだった。
学者肌の父は唐渡りの書物を読み解き、工夫を凝らし、山野を巡っては薬草を集め育てた。
又薬草の花は以外に美しくその開花時期には天皇がその花を愛でる為、薬草園を訪れることさえ珍しくはなかった。
そして、薬草園で働く者達は父を慕い皆惜ずに働いてくれるため、近年の天候不順による不作時であっても其の収穫高はたいして減ることがなかったのだ。
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