3.6.醸造

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 蒸し暑く薄暗い空間は壁に並んでぶら下げられたはちきれそうに丸く膨らんだ大きな袋から醸しだされる吐き気を催すねっとりと甘い匂いに満たされていた。  泡の弾けるような音がかすかに響いている。  じっと息を潜めていた少年と赤い髪の若者は、その音を確認して息を吐き出し、身体をほぐすようにゆっくりと動き出した。  少年は袋のひとつの丸く張った表面に両手のてのひらをそっと当てた。袋の表面ははっきりと分かるほど温かかった。  赤い髪の若者は別の袋の口を開けた。途端に、熱気を帯びた蒸れた匂いがどっと溢れ出る。若者は思わず顔を背けた。 「これはもう?」  匂いの直撃を受けた涙目になった赤い髪の若者が少年に尋ねた。  少年は開けた袋の口を覗きこみ、指を突っ込んだ。その指を引き抜き、舐めた。  少年がうなずいたのを見て、赤い髪の若者は袋の口を締め直した。 「じゃ、これは上げちゃいますね」  若者は袋を壁から外し、口のあたりを持った。  少年は別の袋の口を開け、同じように指を入れて中身を確認した。少年はその袋を壁から外し、若者と同じように持った。  袋を持って歩く若者の後に少年が続く。角を曲がると外の光が鉄格子の向こうに見えてくる。  袋を持つ若者の手は重さで震えていた。  ようやく鉄格子のところまでたどりついた若者は急いで鉄格子を開いた。鉄格子の外に垂れ下がった紐の先には鉄筋で作られた金具が取り付けられている。そこには既に袋がぶら下がっていた。若者はそこに持ってきた袋をぶら下げる。  袋をかけ終えた若者は、足を投げ出すように床に座り込んだ。息が上がっていた。 「この作業ってさあ、誰か他の奴にやらせちゃダメ?」  若者が言った。 「ダメだよ」  少年は取り合わなかった。 「もう、面倒くさくって」  若者は諦めていなかった。 「ダメだって」  少年は怒ってはいなかった。むしろ上機嫌だった。 「秘密は守らないとダメだ。それだけは約束だ」  少年は笑顔で、それでもはっきりとそう言った。 「なんでも秘密だよ。なんでイチイチ秘密にすんのさ。それじゃあ、おじさんみたいだよ」  若者は口を突き出した。  その顔を見て少年は小さく笑った。  若者は笑っていなかった。  若者は、屈託の無い笑顔を浮かべている少年を、ほんの一瞬、むき出しの敵意のこもった目でにらみつけた。  それから慌てて目を閉じた。
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