ダンプとカラス

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 御主人様のマンションに行くのは随分と久しぶりの気がした。三年近くもの間、ほとんど外にも出ずにこのマンションの中で暮らした。  この時間なら、用事がなければ御主人様は帰宅しているはずだ。エントランスを抜け、コンシェルジュの方に軽く会釈をする。呼び出しをしてもらうと思いのほか早く返答が来た。  緊張しながらエレベーターに乗ると、高層階なのにあっという間に着いてしまう。驚いたことに御主人様は玄関の外で待っていた。  細身の体に、オーダーメイドのワイシャツとスラックスを皺ひとつなく着こなしている。全く隙のない相変わらずの人だ。メガネの位置、白髪の本数まで計算されていそうな神経質そうな顔立ち。  着こなしはともかく、こんな顔をしている人だったかと、まじまじとみつめてしまった。 「よく来たね」 「ご、ぶさたしております」  なんと答えたらよいかわからなかったが、やっとのことで返事をした。  玄関に入ると、御主人様が抱きしめてくる。 「私がいない生活は不安だっただろう。悪いことをしたね」  本当は離れたいが、抱きしめる、などという信じられない行為をする御主人様に驚いて、正直動けなかった。もちろん返事もできなくて、されるがままになっている僕を御主人様が訝しげに見る。 「どうしたんだい?」 「あの、今日は返してもらいに来たんです」  御主人様は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに余裕のある笑みを湛えた。 「何を?」 「僕の、名前を」 「何を馬鹿なことを。お前には名前など必要ないだろう」 「御主人様は、僕を捨てましたよね」  まっすぐ御主人様の目を見て問いかける。
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