第1章

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 眼下では戦後処理が行われていた。といっても面倒な条約締結や降伏条件の決定などは必要なかった。小国の民はほとんど残らず殺されてしまったからだ。あるのは略奪した富を如何に分配するかという問題だけだった。  吾輩は再び夜の帳を下ろした。見るに忍びなかった。こんな歴史を、吾輩は記録していかなければならないのか。  無数の民が懸命に働き、王は子作りに精を出す。大国の暮らしは戦争前の状態に戻っていた。だが、以前とは違う点が一つだけあった。迫害を受けているものがいた。  戦争で足を傷めたようで、そいつはまともに働くことができなかった。それでも働かなければ生きていけない。そいつは身体を引き摺るようにして働いていた。まわりのものたちはそいつを助けようともしない。働けないそいつは食べ物もろくにもらえなかった。  小国の生き残りに違いなかった。殺されずに済んだということは、小国でも奴隷身分だったのかもしれない。  吾輩はそいつに憐れみと共感を覚えた。吾輩はそいつをジョージと名付け、できるだけ見守ってやることにした。  日照りが続いていた。雨を降らす気にはなれなかった。先日の虐殺への嫌悪感からだろう。眼下の世界の中では、誰もが弱って見えた。いい気味だ。このまま飢えさせてしまいたい。死んでしまえ。消極的殺戮。  足を引き摺り、食べ物を求め、地面を這いまわるジョージがいた。どうしてお前はそこにいる。どうしてお前はこちらの世界にいない。どうして。  吾輩は這い回るジョージの上に、蜜を垂らした。蜜がジョージの身体を濡らす。死ぬな。  ジョージ。それはお前の、お前のための。  蜜に絡まれたジョージが吾輩を見上げる。見えるか。見えるのか。ジョージ。吾輩が、見えるか。  ジョージは蜜を自分のものにはせず、仲間(そう呼んでいいのなら)の下へと運んでいった。ジョージから話を聞いた奴らが蜜に群がる。  神の恵みだ。我々は見捨てられてはいなかった。  蜜のほとんどは王が口にした。民にもわずかづつが与えられた。ジョージに与えられた蜜はほんの一舐めだった。  その日、吾輩は雨を降らせた。  吾輩は世界の歴史を記録することへの興味を失っていた。それを続けるだけの理由は最早存在しなかった。吾輩が創造した世界は憎しみの対象ですらあった。こんなものがあるから。この世界のせいで。  変わらずにあるのはただ、ジョージへの。
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