第1章

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 智蓮、笙子どすが、さる高貴なお方のご真筆がございます。お見せすることはできないのどすが、智蓮がそれを眼にしていたのならば、我が身の出生のことを知り、またそのことで実の親御を恨んでいたかも知れません。何故に実の親元で生きることが叶わなくなったのか、そういう風にしか生きる道がなかったことを恨んでいたかも分かりません。  それで、この庵を出て行ったのでしょう」  風間、賢太郎が聞いていたら、〝怨恨〟だときっと言うだろうと思った。 「庵主さま、ありがとうございました。  我々とても、胡蝶、いえ、智蓮さんのことが気がかりです。うら若い身で、春をひさぐ生業から、一日でも早く抜け出させたいのです。どういうことで今のような生き方をするようになったのか、これで分かりました。  何とか智蓮さんには、元の静かな暮らしに戻って欲しい、これが今の私の気持ちです」 「お役目ご苦労さまどす。この庵主も、そのように願っておりおす」 「では、失礼致します」  と〝月光院〟をあとにした風間、辰三だった。  今日は西山まで出張ってきたのだ。奉行所に戻ったのは、かなり遅めの刻限だった。賢太郎はもうお役目過ぎ去った刻限なので、奉行所にはいないだろうと思っていた風間だったが、お調べ書きの部屋にいた。何か調べ物があったのだろう。 「風間さん、えらく遅い刻限のお帰りですね。ご苦労さまです」 「胡蝶のことで、今日は手ごたえがあった」 「今戻られたのならば、晩ごはんでも頂きましょうか。二条に店があります。無愛想なおやじがやってるんですが、ちょっとおいしいものが出るんです」 「お前がおいしいというのならば、おいしいのやろう。おまけに懐も安心なんやろ」 「そうです。では参りましょうか」  といって、三人はその店に向かった。  成程、無愛想なおやじが店を開いていた。賢太郎が何も言わないでも、見繕いの物がちょうどいい塩梅で出て来るのだ。食べる物がなくなりそうになると、次の物が出て来るのである。風間はお酒もいける口であるので、お酒も頼む。辰三も飲めるので、お相伴となる。賢太郎は、お酒はあまり得意ではない。まあ、勧められれば飲むというところである。 「でな、胡蝶は尼御前やった。元いた尼寺の庵主に聞いた。胡蝶の出生に係わることで、胡蝶は自分、親元を恨んでいたかも知れない。お前のいうところの〝怨恨〟やと感じた」
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