第1章

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  賢太郎事件帳(八)            篁   はるか  西町奉行所配下、医師、片瀬賢太郎は、今日もまたお調べ書きの部屋にいた。 「先生、片瀬先生―」  とまた辰三の呼ぶ声。〝先生〟だ。合ってないと呼ばれる度に思うのだが、辰三が呼ぶからには何かが起こったのだ。いつもの葛籠を肩から下げ、辰三の後を追う。 (今度こそ、〝先生〟はやめて貰うように言おう)  などと心の隅で思っている賢太郎だった。そんなことを考えているとはつゆ知らずの辰三が、 「先生、こっちどす」  とまた言ったものだから、半ば諦めの表情になった。  辰三が案内したのは、千本四條から少し下がったところにある、長屋の一軒だった。その一軒の回りには人だかりができていた。人々をかき分けるようにして、中に入る。と、そこには、もう風間がいた。畳の上には幼子、一つか二つぐらいの女の子供だった。 「賢太郎、この子や」  言われて、まず脈をとる。もうこと切れていた。この子の体を起こそうとすると、頭があらぬほうに向いてしまった。慌てて、体を横たえた。思わず首のあたりを見てみる。そっと触る。首の骨が折れていた。 (酷い)  病の者や、〝遺骸検め〟で、このようなことには出くわしていたはずの賢太郎でさえも、思わず、この子に心を寄せてしまった。 「風間さん、何か分かっていることでもあるんですか」 「何でも、子供の大きな泣き声が聞こえた。だが、大きな物音のあと、ぴたっと泣き声が止んだ。この、隣に住んでいる者が恐る恐る覗き込んだら、このようにして、この子が倒れていた」 「この子の親はどうしたんですか」 「消えたようだ。俺が駆けつけたときには、いなかった。名は浅吉というらしい」 「この子の親らしいので、歳若みたいですね」 「十八とか聞いたが」 「風間さん、急いでその浅吉という人を探し出して下さい。この子の命を止めたのが、浅吉かも知れません。罪などなさそうな幼子を殺めたかも知れないのです」 「うむ、分かった」 「辰三さんは、この近所の人に頼んで、この子の枕飾りをしてやって下さい」 「賢太郎、この子はどうなったんや」
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