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「へえ、旦那、ここは、立ち飲みで、酒にもよりますが、一杯二十文で飲めまさあ」
と言った。
「ここに、浅吉という者が来るんか。左手が悪い男や」
「名は知りまへんが、何でも大工の職ができなくなったと、いつも荒れる奴がおりおす」
「今日は来たんか」
「いえ、まだどす。大概、毎日来ますが」
そうか、ここの店に浅吉がやって来るのか。なるほど、金がなさそうな浅吉でも飲める店ということなのか。風間は、ここが浅吉がとぐろを巻く店なのか、と思った。
とそこへ、店に入ってきた若い男が来た。中に風間の姿を認めると、すぐさま踵を返して走り出していった。風間は町廻りの恰好である。
「辰、追え」
言いざま、風間も男を追う。その男が、浅吉だと思った。
「ご用や」
辰三の声が響く。観念したのか、若い男は道端で膝を着いた。
「お前が浅吉やな」
風間が十手で指して問う。
「……へえ」
「では、聞きたいことがある。番屋まで来てくれ」
浅吉を番屋に入れ、早速に風間は聞き始めた。
「浅吉、おやすはお前の子やな。今朝はどうしたんや」
「……、おなつがいつも通り、隣のおとしさんに預けて勤めに出ました。少ししてから、おとしさんが、『用事ができたんで、ちょっとの間だけみて欲しい』と言ってきました。それで、おやすをみていたんどすが、急に泣きだしました。あやしても、泣き止みません。それどころか、ますます大きな声で泣きました。ゆすって、あやしていましたが、つい、気が昂ぶって、はっとしたら、おやすが畳の上にいました。泣き声もなかったので、長屋を飛び出しました。どこをどう走ったのか覚えておりまへん。気がつくと、あの店に入ろうとしてました。そこに旦那がいたんで、あっと、走り出ました」
「おやすをどないしようとしたんか」
「大声で泣くもんですから、どうしようもなかったんどす」
「覚えてないんか」
「へえ」
「おやすがどうなったのかも覚えてないというのか」
「すんまへん。もう、何がなんだか、さっぱりで」
「では、おやすが死んだのも、知らんというのか」
「えっ、まさか、おやすは畳の上でぐったりしてるとばかりに思うてました。まさか、まさか、死んだんどすか」
「ああ、お前が無茶にあやしたのが元やと、奉行所の医師が診立てた」
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