第1章

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 開業して七か月。はじめのうちはろくに仕事もなくて、もっぱら不動産屋の手伝いばかりしていたけど、最近少しずつ独自に取り扱う事件も増えてきた。弁護士からの頼まれごとで、夜逃げした人の調査をやったり事故現場の写真を撮ったりで、何とか糊口をしのげている。  不動産屋の一角を事務所として借りられた事にも利点があった。来店した顧客から、ついでに依頼を受けることもあるし、店子を立ち退かせたい時なんかは世話になってる弁護士を紹介することも出来る。そうやって少しずつ仕事が増えていけばいい。  出来上がりのコピーを束ねていると、外出先から戻ってきた筑前さんに声を掛けられた。  「おっはよ~。今日は風が強いね。ね、証拠写真が出来上がってるよ」  筑前さんは俺の中学時代の同級生で、彼女がいうには権田原不動産の事務員でありながら、バーネット探偵社の助手にも就任しているらしい。 「夕方から雨らしいな。おはよう」  筑前さんがプリントしてきたという写真は、権田原不動産からの頼まれ仕事でアパート空き部屋の使用状況を撮影したものだった。アパートを借りていた人が敷金を返すよう要求して来たから、その反論のために傷み具合を調査したのだ。  権田原不動産から俺が依頼を受け、俺が受けた依頼を権田原不動産の事務員である筑前さんが勝手に協力する。だったらわざわざ金をかけてまで俺に依頼する意味はないではないかとも思うが、大人だから黙っておく。大人の探偵は、事務所の売上を考えなければならない。  筑前さんはハンドバッグを机に置くと、早速封筒を取り出して元気よく俺に差し出した。 「ありがとう。助かる」 「なかなか良く撮れてるでしょ?」  隣に来て写真を覗き込む筑前さんの髪から石鹸の良い香りが拡がって、俺の心臓を急き立てる。髪の毛くらい俺だって毎日洗っているのに、彼女の石鹸は魔法でもかけられているのか落ち着かず、取り合えず俺は一歩だけ横に離れた。 「なに? 写真、見づらいよ」 「あ、いや」  筑前さんが不思議そうに首をかしげて不思議そうな瞳で俺を見つめる。こういった闘いは先に目を逸らした方が負けに決まっていて、俺は負けた。 「まあ、いいや。他にやる事ある? 結構仕事、入ってきてるでしょ?」 「大丈夫だ。筑前さんこそ、本来の仕事はいいのか?」
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