第1章

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「今日は暇なんだよねー。営業さんが戻ってこないと手を付けられない仕事もあるし」 「そうか。悪いな」  事務室内のスピーカーはインターネットラジオから流れる曲を奏でている。社長は「無料で常時音楽が流れるからいい」といって重宝していた。著作権がどういう扱いになっているかは、俺は知らない。 「何をコピーしてるの?」 「チラシを、さ」 「なんの?」 「ああ。ウチの事務所も宣伝くらいはしないとな。探偵法が成立してからはもうすぐ十年になる。そろそろ企業事件の取り扱いも増えていい頃だ。だから時間に余裕のある間にこうやって地道な営業活動をしてる」 「時間に余裕はずーとあったりしてね。あっ、うそうそ!」  俺の傷ついた表情に、とっさに言質を取下げて乾いた笑いでごまかした。こんなとき彼女の笑顔には才能があって、ついつい俺もつられて苦笑いしてしまう。 「じゃあ私もビラ配り手伝うよ。駅前で配ればいいの?」 「いや……」  権田原不動産の物件撮影であれば本業との関わりもあるから、手伝ってもらう事に一応の理由づけは出来る。しかし探偵事務所の宣伝用ビラ配りなんて全く関係の無い仕事まで、さすがにしてもらうわけにはいかない。彼女の厚意を好意と取り違えるほど、俺は楽天的ではないし未熟でもない。  とはいうものの、実は営業強化はバーネット探偵社にとって大きな課題だった。いつまでも不動産屋からの斡旋仕事に甘えているわけにはいかない。俺の探偵事務所を目的に来てくれる客をいかに増やすか。しかもちゃんとお金を払ってくれる客をだ。  この前近所づきあいで頼まれた遺失物捜索事件は、無事に解決に至ったものの、報酬は段ボールいっぱいの手作りの干し柿だけだった。八十歳のおばあさんの下着は、干してあったベランダ近くの公園の茂みですぐに見つかったから別に構わないが、領収書に「干し柿ひと箱」と書くのはやはり寂しかった。今後は企業相手に営業を拡大して、ちゃんと日本円で報酬を払ってもらうのだ。 「そうだ。ポタージュ飲む?」 「なんだいきなり」 「太郎丸くんが干し柿干し柿っていうからお腹すいちゃった。温かい汁物に安心する季節だよね」 「ポタージュスープって汁物なのか? というか俺、干し柿って言ってた?」 「うん。ぶつぶつ呟いてたよ。待ってて、いま作ってくる」 「あ、ああ」
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