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再び佐野が足を止めた時、額や背中に流れていた汗はすっかりひいてしまっていた。
状況が落ち着いたからなんかじゃない。
その足が、向かう場所が、怖くて。
「さの」
「……」
とん、と背を押されて前に押しやられる。
だけど、足が竦んでまともな一歩も出せない。
俯こうとした顔を、背後から伸びた手が許しはしなかった。
じわじわと煩い蝉の声を聞きながら、俺は視線を“そこ”へ向けた。
――まか、べ。
目の前には、ゼミ用にと宛がわれた一室で顔を寄せ合って笑う真壁と聖の姿があった。呆然と立ち竦む俺に気付くことなく、楽しそうに笑い合っている。
「今日中に仕上げなくちゃいけないレポートがあるらしくてな。朝からああだ」
「……」
だから、何だ。
あいつらが仲がいいのは、今に始まったことじゃない。俺の知らない所で、ふたりきりで居るのもただの日常の光景だ。今更、傷付く理由もない。
見せ付けられたって、痛くも痒くも、羨ましくもない。
「なあ、見せてよ」
「……ああ?」
「こんな時、どういう表情してみせるのが正解なんだよ」
「意味わかんねえことばっか言ってんじゃねえぞ」
顔を掴む腕を振り払って、ぎっと睨みつけた。
けれど、佐野は気にした様子も無くあの癇に障る笑みを浮かべたまま。
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