9人が本棚に入れています
本棚に追加
それが、生きている人間にとっては、
「はあああ!!!???」
「くそが!!!」
と毒気づくようなことであったとしても。もし、私は、Mちゃんが私の話を聞いてなかったら。私のつらみを仮体験して、本当は誰もしたくないだろうことを、ただ私の頑張りだと知ってくれなかったら。かわいそうにと言ってくれて、がんばったね、と言ってくれなかったら。
さきほどの話がわかったところで
「くそが!!!!」
と叫んでいたことは想像に難しくありません。むしろ、熱があったので、くそが!!と叫ばなかっただけかもしれない。だって、そうでしょう?
「ざれごとだろうが!!!!」
と思うでしょうよ。憎しみすら込めて。今はもう、問題解決しないこを嘆くために出てくる憎しみも消失したけど、ね。
さて、こうして、私は、仏法の理解を体験的に知っていくわけだが、初歩の段階からこれをずーーと何度もやっていた。一周まわって、またやる。この繰り返しは堂々巡りのようで、本当は堂々巡りではないのです。深い深い深い理解となっていくので、その理解をもって、また、ひとへの愛へと繋がっていく。
そう、私は無関心から脱した。やっと、通常時に戻った。
そして、無関心とは、ある深い内省の過程における付随てきなものだとも分かった。(変な想いを向けて傷つけないようにするためか、わかりません)
とても楽になりました。ありがとうございました。
ですが、裏でこんなこともありました。
最初のコメントを投稿しよう!