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子どもの送迎の合間に、図書館に行って来た。Newtonの最新号をじっくり見て、自然や宇宙の美しさに感嘆し、また、そのレポートの素晴らしさに魅入られた。それでも、まだ、1時間ほど余裕があったので、月刊誌の「新潮」「すばる」「群像」「オール讀物」などを読み漁ってきた。
ページをめくるそのたびに、紙の香りや、その手触りに酔いしれた。私は、本に埋もれて死んでもいい。
その中でも、オール讀物の中に、「高校生直木賞」なるものがとりあげられていて、審査員となった高校生たちのそれぞれの所感が述べられていた。ふんふんと読み進めると、ひとりの文章が目に付いた。端正なものの書き方をする彼は、作家志望だそうだ。
文章や文字の運び、想いの重ね方、視点から論点への移行が美しく、ほぉっと小さなため息が出た。高校生の友人に、明治の文豪愛好家がいるそうだ。現代小説をおもしろくないと言い切り、読むことすらも拒むその心を理解し、自身の情感を伝えた。それでいて、哀しみを漂わせた論旨を広げた。とても美しかった。
他の高校生はどうかというと、やはり、高校生直木賞の審査員となるべくしてなった方々なので、文章がまた、それぞれに風合いがでていて、言葉のあふれ方が個性を出していた。まるで、教室にいるような気分になった。
彼らが選んだ小説は現代小説でもなく、ライトノベルやその界隈のものでもなく、ファンタジーでもない、紛れもない歴史小説だった。ある子の書評には、こう書かれていた。
「本を読んだ翌日、自分の何かが変わるとしたらこの小説だった」
いいセンスしてるね!!
などと、読書家たるものの本の見立てへのこだわりが、私を嬉しくさせた。また、月刊誌に触れただけで、私はいまパソコンで文字を書いているが、それでも、紙面から伝わる風合いを愛していることを実感した。
キャッチーな言葉で展開されるSNSやブログ、ツイッターのよいところと、紙面にかかれるそれは、やはり違う。Newtonの記事すらもそうだ。
同時に、長男の夏休み研究の資料さがしのために、郷土コーナーに身を潜めた。じっとタイトルを追っていくと、素人がフィールドワークをして纏めたものを発見した。ちまちましたデータを見て、大学時の文化人類学系統の講義を思い出した。私は、実は、社会科の教員免許も持っている。
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